メタじいの日常

気が付けば後期高齢者です。孫が6人にもなりました。会うたびに大きくなるのでたのしみです。

「情熱」という言葉は いつでも

8 月 12 日(水)   起床 4時56分   薄曇りの空    ムシッと暑い
              気温 25℃  降水量 0mm   湿度 79%


        天気予報   夏の暑さが降り注ぐ  引き続き厳しい暑さとなる
                                    熱中症対策を万全に  最高気温 32℃  雷注意報


     今日の予定  健康館での治療(毎週1)  11時予約


立秋  次候 寒蝉鳴く(ひぐらしなく)  新暦  8月12日~16日


       カナカナ・・とひぐらしがなく頃をいう。 はかない夏の夢のよう。
       8月15日は月遅れの盆。終戦記念日。先祖の霊を送る灯篭流し。
       先祖や戦火で散った人々への祈りを込めて。


蒸し暑くいつもより早い目覚めとなった。
窓をあけると、ムッとした空気が流れ込む。
空には一面雲が広がり、所々に青空が見える。
何となく今日も暑くなりそうだ。

今、我が家の玄関で一番映えているのはこの花です。
名前をアンスリウムといい、和名をオオベニウチワ(大紅団扇)といいます。
和名は見た通りの名前で分かりやすいですね。
この花は、まわりに花の少なくなったころ咲いてきます。
もともとこれは観葉植物で、妻が友人から誕生祝にいただいたものです。
花が咲いていなくても、緑の葉がとてもきれいです。
特徴としてよく言われているのが、日影を好むということです。


原種は、熱帯アメリカや西インド諸島に生息するサトイモ科の植物であり、赤やピンク色のハート形お皿のような仏炎苞(ぶつえんほう)が特徴的です。
開花は5月から10月までで、長い間楽しめます。
実は、このハート形は花ではなく、ここから細い尾のように出てきた黄色い突起が花になります。
管理がしやすいのでおすすめです。
赤のアンスリウムの花言葉は「情熱」です。
「情熱」という言葉は、戦後の復興のためにはとてもふさわしい言葉だと思っています。


さて
今週は、終戦記念日があります。
先日も、原爆投下された都市広島や長崎で75年目の事業がありました。
この時の原爆投下により亡くなられた方々のご冥福を祈り黙とうをしたばかりです。
あれから75年。
わたしは当時3歳であり、その時のことは何も覚えていません。
戦争と言えば、父が海軍に配属されていて、終戦で帰ってきたことと、
叔父が陸軍に配属されていて、終戦で帰ってきたこと、
伯父が陸軍に配属されていて、戦死したということぐらいしか知りません。


戦後は、この3家族が共に助け合いながら一緒に共同生活をし、終戦直後から10人の大家族で生活をはじめたことを聞き覚えています。
その後、各家族に子どもが順次生まれ、総勢が18人にもなりました。
当時、子どもだけでもいとこが12人(男7人・女5人)もいたのです。
だから、12人の兄弟姉妹でした。
同じ学年は、一組だけで、あとは見事に続いていました。
わたしは、2番目の兄という立場でした。
だから、未だにいとこが合うと、みんなから「兄ちゃん」と呼ばれています。
75年経過し、それぞれ独立した家族ですが、今でも親しく年2回の家族付き合いを続けています。
残念なことは、この内の3人が病気に侵され先立ってしまったということです。
これも、時の流れで仕方のないことと思っています。


このコロナ禍の真っただ中でもあり、ひとつに集まることはできませんが、各家庭で先祖供養をして会えるようになるまで頑張っていきます。
戦後75年を忍び、亡くなった人々に思いを寄せて、気持ちを新たにして進んでいきます。
遅かれ早かれお迎えの順番がやってくるのですから。
その時がいつきてもいいように、お互いに頑張って生きていきましょう。



ところで本日の予定は、今のところ健康館へ治療に行くことだけです。
筋力の低下が自分でも感じられるようになりました。
何とかしようとは思って、動いてみるのですが、立っているだけでも痛くなってくるので悩んでいます。


朝食がすんだら、支度をして出かけます。


今日もまた、空模様は暑くなりそうな気配です。


熱中症に気を付けてまいりましょう。


特に被災された地域のみなさま


復旧に向けても ともに頑張りましょう


         そして


  災害救助・復興にあたってくださる みなさま