メタじいの日常

気が付けば後期高齢者です。孫が6人にもなりました。会うたびに大きくなるのでたのしみです。

戦後日本の復興と独立に尽力

 国会議事堂


2021年2月28日(日) 


起床 6時49分  気温 0℃  降水量 0mm  湿度 54% 
天気予報  晴れて初春の温かさを感じる   朝晩は冷え込む 
最高気温  13℃  南風 1m  防寒を  乾燥注意報


雨水(うすい)
  雨水とは、降る雪が雨へと変わり、氷が解け出すころのこと。
昔からこの季節は農耕の準備をはじめる目安とされてきました。
       新暦 2月19日~3月4日
 次候  
(かすみはじめてたなびく)新暦2月24日~2月28日

  春霞がたなびき、山野の情景に趣きが加わるころ。
  遠くかすかな眺めが、ほのかに現われては消える移ろいの季節。


今朝 7時35分 撮影 西の空   ところどころに広がるうすい雲
日の出 6時22分   日の入 17時45分 


昨日は、曇り空の天気ではありましたが雨の降るようなことはなく、安定した一日でした。


今日は、日曜日ですが特に予定はありません。(きょうようなし)
太陽は出ているが薄く雲がかかったような天気である。


さて「今日は何の日」かというと、2月28日は、「バカヤローの日」でした。
1953年(昭和28年)の2月28日、吉田茂首相が衆議院予算委員会の席上、西村栄一議員の質問に対し興奮して「バカヤロー」と発言したことに由来していました。
この発言がもとで内閣不信任案が提出・可決され、この年の3月14日に衆議院が解散してしまったのです。
この解散は「バカヤロー解散」と呼ばれています。

 1953年(昭和28年)3月14日


問題となった委員会では、国際情勢についての質疑応答が行われる最中であり、その中で「無礼だ」とか「バカヤローだ」の言葉が飛び出し、その直後に、吉田首相は発言を取り消し、西村議員もそれを了承したものの、「あの発言は問題だ!」と騒ぎ立てられ、自由党非主流派の裏での画策もあり右派社会党は「吉田首相懲罰動議」を提出・可決され更に内閣不信任案が提出・可決され吉田内閣は、衆議院を解散するか内閣の総辞職しかありませんでした。

 自宅でくつろぐ 吉田 茂 総理大臣


そこで衆議院を解散することを選んだ場合は、衆議院は解散して選挙が行われますから今一度返り咲くため解散総選挙に打って出ようと1953年(昭和28年)3月14日衆議院が解散することになり、これが「バカヤロー解散」と呼ばれるもので4月19日に第26回衆議院議員総選挙が行われました。
選挙の結果、自由党は少数与党に転落、改進党との閣外協力で第5次吉田内閣を発足させて延命を繋いだといわれています。

  第5次 吉田内閣


「バカヤロー」と書くと大声を出したような印象を与えますが、吉田は席に着きつつ非常に小さな声で「バカヤロー…」と呟いたのみで、それを偶然マイクが拾い、気付いた西村議員が「何がバカヤローだ!バカヤローとは何事だ!!」と聞き咎めたために騒ぎが大きくなったというのが実態であるそうです。
吉田茂内閣は、調べてみますと第二次大戦後に第1次内閣が発足し、第5次内閣まで続きました。
第1次吉田 茂内閣は、1946年(昭和21年)5月22日 発足。
第2次は、1948年(昭和23年)10月15日 発足。
第3次は、1949年(昭和24年)2月16日 発足。
第4次は、1952年(昭和27年)10月30日 発足。
第5次は、1953年(昭和28年)5月21日 発足。
この間に、大きな仕事として1951年(昭和26年)「サンフランシスコ平和条約」の締結というのがありました。
この条約により、敗戦国の日本も戦勝国と同等に扱われることとなったのです。
また同時に、日米安全保障条約にも調印することで、日本の安全が保障されて現在までつづいているのです。

 日米安全保障条約調印


なお、吉田茂氏は高知県から国政選挙に立候補して7回当選して国会議員を務めていたということです。
日本で国葬となった、たった一人の民間人でもあるそうです。



最近のニュースで、コロナ感染症のワクチン接種が一部で始められたと報道もありました。
高齢者にも、4月ごろには順番がマワルということなので、それまで外出を控えて感染を防いでいきます。


愛知県も緊急事態宣言を解除するようですが、今しばらくは、ワクチン接種後の様子見と、感染拡大が落ち着くまでの慎重な生活を心がけることが肝心ですね。


コロナに感染され、療養中のみなさま


これまでに各種災害などで、被災された地域のみなさま


台風や水害で避難されたみなさま


みんなで気持ちをしっかり持ち


ともにがんばってまいりましょう。


復旧に向けても ともに頑張りましょう
  そして
救助・復興・治療にあたってくださる みなさま