メタじいの日常

気が付けば後期高齢者です。孫が6人にもなりました。会うたびに大きくなるのでたのしみです。

浅草仲見世・寒い朝になった

   浅草寺の山門(雷門)


2021年12月27日(月)


起床 6時33分  気温 -2℃  降水量 0mm  湿度 94% 
天気予報  雪が降ったり止んだり  真冬の厳しい寒さ  防寒のフル装備で  
最高気温 2℃  風速 0m  大雪・低温・着雪注意報  


冬至(とうじ)
 冬至とは、一年でもっとも昼が短く、夜が長いころのこと。
これから日が伸びていくので、古代には冬至が一年のはじまりでした。
      新暦 12月21日~1月4日
次候 麋角解(しかのつのおつる)
     新暦 12月26日~12月30日
   大鹿の角が抜け落ちて、生え変わるころ。
   トナカイの仲間で、大鹿の角のことを麋角(びかく)といいます。
 


旬の魚介(こい):旬の野菜(カボチャ)



今朝  7時15分  撮影 南の空   雲が一面に広がっている
日の出 6時58分   日の入 16時46分



今朝は曇り空。
台所から庭をみると、まわりが白い。
遠くの屋根も白く見える。


   台所から


勝手口から庭の方へ降りていく。
バケツに水を汲んで、花壇用にと準備しておいた水が凍り付いて雪がかかっている。
夜中にパラパラとふったのであろう。


   バケツの雪


さらに進んでいくと、スイレン鉢にも真っ白く雪が積もるのでなく付いている。


   凍った鉢


さらには、ハランの葉にも雪がのっていた。


   ハラン


粉雪が舞ってきて、葉っぱの上に落ちてきたと言ったところだ。


まだ空は曇ったままで、今にも雪が舞ってきそうだ。


遠くの景色も白っぽく見え、雪が舞っていそうだ。
天気予報では、一日中、雪が舞ったり止んだりの天気が続く予報だ。


   寒い庭



今日は、気温の上がらない一日になりそうだ。



さて、「今日は何の日」といわれると、12月27日は「浅草仲見世記念日」でした。


1885年(明治18年)12月27日、東京・浅草の「仲見世」が新装開業したことが由来となっている。


浅草仲見世は、雷門から浅草寺へと続く参道の両脇に位置する商店街で、日本で最も古い商店街の一つでした。この日、煉瓦(れんが)造りの新店舗が開店した。
現在、商店が立ち並ぶ通りは「仲見世通り」と呼ばれ、長さが約250mで、東側に54店、西側に35店、合計89店の店舗がある。


   浅草寺門前


徳川家康が江戸幕府を開いてから、江戸の人口は増え、浅草寺への参拝客は一層の賑わいを見せた。
そんな中、近隣住民に浅草寺境内の掃除を役務として課す見返りに、境内や参道上で店を営業する特権が与えられた。
これが仲見世の始まりであり、1685年(貞享2年)頃とされている。


江戸時代には、伝法院(でんぼういん)から仁王門寄りの店を役店(やくだな)と呼び、20件の水茶屋が並び、雷門寄りは平店(ひらみせ)と呼び、玩具や菓子、土産物などを売っており、次第に店も増え、日本で最も形の整った門前町へ発展していった。


明治維新の政変により、寺社の所領が政府に没収され、浅草寺の境内も東京府の管轄となった。
合わせて制定された公園法により境内が公園地に指定され、以前からの特権が仲見世から取り上げられた。


1885年(明治18年)5月、東京府は仲見世全店の取り払いを命じ、泣く泣く退店した後、同年12月に煉瓦造りの洋風豊かな新店舗が完成、近代仲見世が誕生した。


   明治末期の仲見世


その後、1923年(大正12年)の関東大震災で赤煉瓦の仲見世は倒壊したが、鉄筋コンクリート造りの建物として再建された。


1945年(昭和20年)の戦災で内部は全部焼失したが、仲見世の人々の努力によりいち早く復興し、1985年(昭和60年)には近代仲見世の誕生100周年を迎えた。


   100周年の仲見世


現在でも、仲見世は正月の初詣を中心として、浅草寺を参拝する多くの人々で賑わう。
人形焼や雷おこし、団子といった甘味屋や、扇子や髪飾り、帯を扱う和装屋などがあり、海外からも多くの観光客が訪れている。


もう少し、コロナが落ち着くまで旅にはでられないから我慢のしどころだ。



では、マタアシタ