小春日和に
ホトケノザ
2021年12月9日(木)
起床 7時02分 気温 3℃ 降水量 0mm 湿度 91%
天気予報 スッキリ晴れて穏やかな小春日和 昼間は日差しの温もり 朝晩は冷え込む
最高気温 14℃ 西 風速 1m 現在は注意報なし
大雪(たいせつ)
大雪とは、いよいよ本格的に雪が降り出すころのこと。
降雪地方では、雪の重みで木が折れないように雪吊りをします。
新暦 12月7日~12月20日
初候 閉塞冬成(そらさむくふゆとなる)
新暦 12月7日~12月11日
天地の陽気がふさがり、真冬が訪れるころ。
重たい灰色の雲におおわれた空は雪曇と呼ばれます。
旬の魚介(ぶり):旬の野菜(大根)
今朝 7時30分 撮影 北の空 一面の青空に
日の出 6時48分 日の入 16時39分
今朝は快晴で温かい一日になりそうだ。
昨日は、東門の門灯を取り付けておいたので、午後6時過ぎのまわりが暗くなるのを待って門灯の明るさをテェックした。
東門の門灯
よしよし、思っていたより明るい。
これで、夜の来客は来やすくなったと思うが、段々と役職も交代して少なくなったこともあり来客はほとんどなく、宅急便の運転手ぐらいであろう。
今朝は温かそうであったので、着替え後に初冬の景色を探しに出た。
マユミ
赤い実だけでなく、葉も色づいてきた。
ブルーベリー
さて、「今日は何の日」といわれると、12月9日は「漱石忌」でした。
「漱石忌」とは、明治~大正時代の小説家・英文学者の夏目漱石(なつめ そうせき、1867~1916年)の忌日(きじつ)でした。
1867年2月9日(慶応3年1月5日)、江戸の牛込馬場下横町(現:東京都新宿区喜久井町)に生まれる。
本名は夏目金之助(なつめ きんのすけ)。
児童期には漢詩文に親しみ、大学予備門で俳人・正岡子規(まさおか しき)を知り俳句を学ぶ。1893年(明治26年)、帝国大学(後:東京帝国大学、現:東京大学)英文科を卒業。
1895年(明治28年)、松山の愛媛県尋常中学校(現:松山東高等学校)の英語教師となる。
松山は子規の故郷であり、子規とともに俳句に精進し、数々の佳作を残す。
翌1896年(明治29年)、熊本の第五高等学校(熊本大学の前身)の英語教師となる。
1900年(明治33年)、イギリスへ留学。1903年(明治36年)、留学から帰国し、東京帝国大学の英文学講師となる。
夏目漱石
講師の傍ら、1905年(明治38年)にデビュー作の長編小説『吾輩は猫である』を俳句雑誌『ホトトギス』に発表。
これが評判となり『倫敦塔(ろんどんとう)』(1905年)や『坊っちゃん』、『草枕(くさまくら)』(1906年)などを書く。
1907年(明治40年)、教職を辞して朝日新聞社に入社し、作家活動に専念する。
『虞美人草(ぐびじんそう)』(1907年)や、前期三部作と呼ばれる『三四郎』(1908年)、『それから』(1910年)などを『朝日新聞』に連載。
1916年(大正5年)12月9日、胃潰瘍により体内出血を起こし、『明暗』執筆途中に自宅で死去。
49歳。
また、明治時代の文豪として1984年(昭和59年)から2004年(平成16年)まで発行された千円紙幣に肖像が採用された。
千円札
コロナ感染症がまたもや外国で広がりを見せ、国内にも広がりをみせています。
まだまだ安心はできませんね。
すでに、コロナに感染され療養中のみなさま
これまでに各種災害などで、被災された地域のみなさま
台風や水害で避難されたみなさま
みんなで気持ちをしっかり持ち
ともにがんばってまいりましょう。
復旧に向けても ともに頑張りましょう
そして
救助・復興・治療にあたってくださる みなさま
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