メタじいの日常

気が付けば後期高齢者です。孫が6人にもなりました。会うたびに大きくなるのでたのしみです。

明治は遠くになりにけり

   明治時代の中学校


2021年5月21日(金) 


起床 5時15分  気温 22℃  降水量 2mm  湿度 98% 
天気予報  雨が降り強まる  低地の冠水注意  強風あり
      最高気温 22℃  南 風速 3m  大雨・雷注意報


小満(しょうまん)
 小満とは、いのちが、しだいに満ち満ちていくころのこと。
草木も花々も、鳥も虫も獣も人も、日を浴びてかがやく季節です。
      新暦 5月21日~6月4日
  初候  蚕起桑食(かいこおきて くわをくう)
     新暦 5月21日~5月25日
  蚕が、桑の葉をいっぱい食べて育つころ。
  美しい絹糸となる繭を、小さな体で紡ぐのです。


今朝 6時10分  撮影 北の空   雨雲の広がる空
   日の出 4時43分   日の入 18時52分


今朝は、梅雨に入っていることもあり小雨の降る朝です。
庭の植物たちも十分な水分をもらいドンドン育ちます。


   ボサボサに伸びた新芽


ナンテンの新芽が育ち始めたところで、ボサボサになってきている。
そろそろこの生垣の剪定をする頃となっている。


葉の間から小さな丸い花の蕾が見える。


   ナンテンの花芽


ナンテンは中国原産で、日本では縁起物として庭木として植えられることが多い。
冬に赤くて丸い実をつけ、咳止めの効果が期待できることから薬用植物としても扱われている。


和名ナンテンの由来は、冬に赤い果実が目立つことから、中国では灯火を連想して南天燭といい、また葉が竹に似ることから南天竹と名付けられ、これを音読みして和名がつけられたとされる。
花期は初夏(6月)ごろ、茎の先端の葉の間から、幹を上に伸ばし、6弁の白い花を多数つける。
晩秋から初冬にかけて赤朱色または、ときに白色で、小さな丸い果実をつける。




さて、「今日は何の日」といわれると、5月21日は「小学校開校の日」でした。
1869年(明治2年)の5月21日、京都市に日本最初の近代小学校「上京第二十七番組小学校」と「下京第十四番組小学校」が開校したことに由来していました。
「上京第二十七番組小学校」は後の「柳池(りゅうち)小学校」、「下京第十四番組小学校」は後の「修徳(しゅうとく)小学校」である。


当時の京都には、上京・下京のそれぞれに番組(学区)という行政区画が置かれ、番組ごとに小学校が建てられたため、「番組小学校」と呼ばれたのです。


   小学校講堂


しかし、明治7年の段階でも小学校への就学率は、男46%、女17%にすぎず、3人に1人しか小学校に通っていなかったというのです。
一方、ほぼ全員が就学しているといわれるようになるのは、1912年(明治45年)ごろであったといわれています。


「上京第二十七番組小学校」の創設者であり、私財を投じて校舎や敷地を寄付した商人・熊谷直孝(くまがいなおたか)を初め、多くの寄付や献金が住民から集まったそうです。
そして、地域が一丸となって学校の建設が進められ、年内には64の番組小学校が開校したといいます。
日本の近代化を推進した福沢諭吉をも驚かせ、全国の小学校制度の先駆けとなったといいます。
   梅屋小学校


多くの小学校は,地元有志の寄附や寺社の敷地の一部でまかなわれ,運動場もなく,民家とあまり変わらない大きさでした。


教育は府独自の規則により,筆道,算術,読書の3教科を中心として行われました。
小学校は単に教育機関であるだけでなく,町会所であり,府の出先機関でもありました。
警察・交番や望火楼を設置し、塵芥処理や予防接種など保健所の仕事も担っていました。
このように小学校は総合庁舎としての機能を果していましたが,その経費の一切は町組が負担していたのです。


国が「学制」を定める3年も前のことであったというのです。


学制とは、日本最初の近代学校制度に関する基本法令のことで、1872年(明治5年)に公布され、日本における近代学校の成立・発展の基礎となったものです。
全国に小学校をつくり6歳以上の男女が身分に関係なく通うことを目指したもので、義務教育の始まりであった。


「柳池小学校」は戦後の新学制によって「柳池中学校」となり、統廃合を経て2003年(平成15年)に「京都御池中学校」となったが、敷地内には「日本最初小学校」と記された石碑が建てられている。


   日本最初の小学校記念碑


それにしても、なぜ京都が小学校の開設に熱心だったかと言えば、明治維新の東京遷都で京都の衰退を危惧し、教育によって近代都市に生まれ変わろうという京都の意図の現れだといわれています。
さらに驚くべきことは、小学校の建設費用の多くが商人や住民の寄付で賄われていたということです。
学校敷地の問題もあり、2020年は教育改革元年にしようとしたのでしょうが、これを利用して大もうけをしようという商人はいても、自腹を切って将来に向けて子弟を育てようという商人はいなくなりました。


明治は遠くになりにけりですね。



それにしても、コロナの勢いは一向に衰えをみせませんねえ。


日に日に、五輪が迫ってきているというのに。


何とかコロナウイルスを制圧しないと、五輪どころではなくなります。


ワクチンについての報道もにぎやかにもなってきました。


すでに、コロナに感染され療養中のみなさま


これまでに各種災害などで、被災された地域のみなさま


台風や水害で避難されたみなさま


みんなで気持ちをしっかり持ち


ともにがんばってまいりましょう。


復旧に向けても ともに頑張りましょう


   そして


救助・復興・治療にあたってくださる みなさま