メタじいの日常

気が付けば後期高齢者です。孫が6人にもなりました。会うたびに大きくなるのでたのしみです。

落葉樹から若々しい黄緑色の新芽がでてきました

  華やかな桃の里の季節です


2021年4月2日(金) 


起床 5時25分  気温 12℃  降水量 0mm  湿度 70% 
天気予報  日差しが届き穏やかな空  朝晩の冷え込み控え目 
最高気温  20℃  南東風 1m  昼間は春本番の暖かさ   


春分(しゅんぶん)
 春分とは、太陽が真東から昇り、真西に沈む日のこと。
昼と夜が同じ長さになる春分の時期を二十四節気の大きな節目のひとつとします。
       新暦 3月20日~4月3日
 末候  
雷乃声発(かみなりこえをはっす)
      新暦3月30日~4月3日
  春の訪れを告げる雷が鳴りはじめるころ。
  恵みの雨を呼ぶ兆しとして、よろこばれたそう。


今朝 6時45分  撮影 北の空   薄い雲が流れている

日の出 5時36分   日の入 18時13分 





昨日は、月1回の主治医による定期検診がありました。
血液検査・尿検査ののちに、その検査結果が出てから面談というパターンで終了です。
検査結果は上々とのことで、このまま節制した生活を続けるよう注意がありました。
薬はこれまでと同じようにでましたが、今回から、一回分を一袋にパックしてもらったので出来上がるまでに時間がかかってしまいました。



   朝食後の薬




病院の帰りに、桃の里を通って帰りました。
一年で一番華やぐ季節です。






さて「今日は何の日」かというと、4月2日は、「五百円札発行記念日」でした。
1951年(昭和26年)4月2日に、岩倉具視を肖像とした五百円札が初登場したことにちなんで制定された記念日です。
1946年(昭和21年)2月にインフレ抑制を目的とした新円切替が断行されましたが、その後もインフレは収まらず、1950年(昭和25年)には最初の千円券が発行された。
その翌年に千円券と百円券の間を埋めるべく、新しく五百円券が発行されたのでした。





   五百円券 表




表面右側には岩倉具視の肖像、中央上下には法隆寺が所蔵する玉虫厨子の透金具のレリーフ模様を描き、左右には「500」および「五百」の文字と日本銀行行章のマイクロ文字を敷き詰めている。
表面中央の地模様には正倉院宝物の「黒柿蘇芳染金銀絵如意箱」の模様をあしらっている。





   五百円券 裏




裏面には中央から右側にかけて富士山が描かれているが、これは名取久作が山梨県大月市の雁ヶ腹摺山山頂から撮影した写真を原画としたものだそうです。
また、裏面左側の額面金額「500」が表示された円形の輪郭の周囲には蓮花模様を描き、更にその外側を中尊寺金色堂の天蓋の「藤原模様」が取り巻く構成となっています。





最初の五百円券の発行開始から18年が経過し、印刷技術や偽造防止技術が古くなったことから新五百円券が 1969年(昭和44年)11月1日に発行されました。
   
   新五百円札 表




表面の右側には岩倉具視の肖像、裏面中央から左側にかけては雁ヶ腹摺山山頂から見た富士山の風景が描かれています。
ともに原画像は旧五百円券と同じものを使っており、基調となる色調も同様の青色であるため全体的なデザインはよく似ていますが、印刷はより精緻になっています。
旧五百円券よりも肖像が大型化し、旧五百円券のような額縁調の硬いイメージはなくなっている。
また、表面左下には桜花、右下には月桂樹が、地模様としては中央に宝相華模様がそれぞれあしらわれています。
透かしは桜花と波線で、旧五百円券とは異なりその部分には印刷がされていないためこれを容易に確認できます。



   新五百円券 裏




1982年(昭和57年)4月1日に五百円硬貨(五百円白銅貨)が発行された後も1985年(昭和60年)まで五百円券の製造は続けられ、1994年(平成6年)まで日本銀行から払い出しされていたそうです。


   五百円硬貨



コロナ禍による非常事態宣言は解除されましたが、人々の動きは以前より増えて、感染者も増えたようです。




気持ちのタガをゆるめると、なかなか元に戻すのは大変なことです。



コロナ感染症のワクチン接種が高齢者にも、いよいよ4月には順番がマワルということなので、それまで外出を控えて感染を防いでいきます。



コロナに感染され、療養中のみなさま

これまでに各種災害などで、被災された地域のみなさま

台風や水害で避難されたみなさま

みんなで気持ちをしっかり持ち

ともにがんばってまいりましょう。

復旧に向けても ともに頑張りましょう
  そして
救助・復興・治療にあたってくださる みなさま