メタじいの日常

気が付けば後期高齢者です。孫が6人にもなりました。会うたびに大きくなるのでたのしみです。

技術の進歩で自然に近づく

 歌番組で もりあがり


2021年2月1日(月) 


起床 6時35分  気温 -2℃  降水量 0mm  湿度 100% 
天気予報  午前は晴れ天気下り坂  午後は雨  夜ほど強い  
最高気温 12℃  南の風 1m  昼間の寒さ控え目 


大寒(だいかん)
  大寒とは、一年でもっとも寒さが厳しいころのこと。
  日がしだいに長くなり、春へ向かう時期でもあります。
       新暦 1月20日~2月3日
 末候  鶏始乳(にわとりはじめてにゅうす)新暦1月30日~2月3日
  鶏が卵を産み始めるころ。
  かつて鶏の産卵期は、春から夏にかけてでした。



今朝 7時38分 撮影 東の空  雲のない青い空
日の出 6時50分   日の入 17時19分 


昨夜も良くねむれました。


昨日は、妻が腰をいためてほとんど動けないということで、長女と次女が娘を連れて見舞いを兼ねて応援にきてくれました。


お蔭をもちまして、メタじいは楽をさせてもらいました。


夕食は、二人がたべるだけを用意しておいてくれたので助かりました。


久しぶりに洋風の味付けを楽しみました。


メニューは、ハンバーグ・コンソメ味のトマトスープ・温野菜・漬物2種でした。
(写真にとることを忘れて、食べてしまいました。)


いよいよ2月です。
1か月の過ぎるのが段々と早くなってきましたね。


さて「今日は何の日」かというと、2月1日は、「テレビ放送記念日」でした。
1953年(昭和28年)2月1日、NHKが日本初のテレビ公開実験を実施したからです。
戦争による中断を経て1948(昭和23)年に戦後初の公開実験を行い、いよいよ本放送を開始したのです。
テレビ放送開始3週間目で『ジェスチャー』もスタートして一躍人気番組となったそうです。

  ジェスチャー


また、都内7ヵ所で一般公開もされ、盛り場や駅、公園などには街頭テレビを設置、群衆がプロレスやボクシングなどに熱狂しました。


メタじいは、その頃は小学生の5,6年であり、夜になると近くのテレビのある家へ力道山のプロレスを見に行っていたことを覚えています。


日本の経済成長と価格の低下でテレビが家庭に急速に普及し、放送開始から5年後の1958年には受信契約が100万に達した。

 家庭用テレビ


このころには、我が家にもテレビが入り、祖母たちはよく浪曲や落語をみたりしていた。
そして1959年4月、皇太子ご成婚の直前に200万台を超え、ご成婚の模様はテレビ始まって以来となる最大規模で中継された。
ご成婚パレードの模様は推定1500万人が視聴していたそうです。


現在まで続く人気番組『きょうの料理』は1957年から、『おかあさんといっしょ』は1959年から放送が始まったというのです。

 お母さんといっしょ


大卒の初任給が約8000円の時代に受信料は月200円だったそうです。
また、国産の14インチ型の白黒テレビは17万5000円もしたのです。
1960年(昭和35年)日本はアメリカ、キューバに次いで世界で3番目にカラーテレビの本放送を開始した。
初めのころには外国のカラー映画、スポーツ中継、短時間の教養番組が中心で、NHKのカラー番組は1日1時間ほどだったといいます。


1964年(昭和39年)10月の東京五輪は、8月に打ち上げたばかりの静止衛星シンコム3号を利用して、世界に初めて生中継されたといいます。
大会では開・閉会式、レスリング、バレーボール、体操、柔道など8競技がカラー放送されたほか、VTR で収録した競技を再生するスローモーションVTR、帽子に装着して口元の声を拾う中継用の接話マイクなど新しいテレビ技術がいっせいに登場しました。
東洋の魔女と呼ばれた日本女子バレーボールチームとソ連チームとの決勝戦は最大視聴率95%とメディア史に残る記録となったようです。

 バレー決勝戦

全世界に中継され、テレビオリンピックといわれました。
その後、テレビ放送は格段の進歩を遂げ、今日にいたっています。
スマホの時代となり、若者たちはテレビから距離を置くようになっているようです。



コロナ禍はまだ緊急事態宣言下にあり、感染者は増減を繰り返しており収束していません。
今しばらくは、慎重な生活を心がけることが肝心です。


これまでに各種災害などで、被災された地域のみなさま


台風や水害で避難されたみなさま


みんなで気持ちをしっかり持ち


ともにがんばってまいりましょう。


復旧に向けても ともに頑張りましょう
  そして
救助・復興・治療にあたってくださる みなさま