メタじいの日常

気が付けば後期高齢者です。孫が6人にもなりました。会うたびに大きくなるのでたのしみです。

チョットした心遣いもうれしいものです

 静かなスキー場


2021年1月12日(火) 


起床 7時25分  気温 1℃  降水量 0mm  湿度 95% 
天気予報  雪か雨から段々と回復  昼も冷たい寒さが続く  
最高気温 4℃ 風 1m  シッカリと防寒を



小寒(しょうかん)
  小寒とは、寒さが極まるやや手前のころのこと。
  寒の入りを迎え、立春になる寒の明けまでの約一か月が寒の内です。
       新暦 1月5日~1月19日
 次候  水泉動(すいせんうごく) 新暦 1月10日~1月14日
  地中では凍っていた泉が動きはじめるころ。
  十日まで供えた鏡餅は、十一日に鏡開きをします。


今朝 8時48分 撮影 東の空  雨雲が一面に広がる空
日の出 7時00分   日の入 16時59分 


5時20分ごろトイレへ起きたが、まだ寒いので石油ストーブに点火しベッドにもどる。


次に起きたら、7時半近くで、すでにカーテン越しに外が明るい。
のぞいてみると、雪ではなくて小雨模様となっている。


ストーブも点火してあり、温かかったのですぐに着替える。


パソコンを立ち上げると、しばらくはニュースやブログめぐりなどをする。


昨日は、ホームステイの所に次女がやってきた。
寒いからと、ひざ掛け用のマットを誕生日プレゼントにと持ってきてくれたのだ。
こたつに入って、孫の成人式用の着物で写した写真や式のようすなども話してくれた。
いっしょに昼食をしてから、午後2時ぐらいに帰っていくと、入れ替わりのように長女がやってきた。


長女も誕生日プレゼントといいながら、ユニクロで買ってきたと言いXLのジャンバーと毛糸の帽子を持ってきてくれた。


着ぶくれてジャンバーが窮屈となっていたので、早速着替えさせてもらったら温かかった。


今朝は、朝からどんよりとした曇り空だが、昨日の娘たちの心遣いがうれしかった。



さて「今日は何の日」かというと、1月12日は、「スキーの日」でした。
なぜ1月12日が「スキーの日」となったのは、1911年(明治44年)の1月12日、オーストリアのテオドール・フォン・レルヒ少佐が、新潟県高田の陸軍歩兵連隊で、日本人に初めてスキーの指導を行ったことから生まれた記念日です。

 スキー場のリフト

これが日本人初のスキーであったとされることから、スポーツ用品のメーカー・ミズノの直営店エスポートミズノが1994年(平成6年)に制定したそうです。
日本でスキーが人気となったのは、「アルペンスキーの父」として知られるオーストリアのスキー講師・ハンネス・シュナイダーが1930年(昭和5年)に秩父宮親王の招待を受けて来日したことがきっかけと言われています。

 ハンネス シュナイダー

ところが、1993年(平成5年)1770万人いたスキー人口は、2013年(平成25年)には480万人まで減っています。
スキーヤ―はスノーボーダーに押しやられている感もありましたが、実際にはスキー人口を上回ったことはないようです。
それにしても、スキー・スノーボード合わせても、770万人とここまで減っているとスキー場の経営は大変でしょうね。

 家族でスキー


ところで、スキーはどのようにして利用されてきたかと言うと、元は狩猟に用いられたのが始まりだといわれています。
人々は、狩猟、移動手段、武術の鍛錬としてスキーを利用してきましたが、しだいにレジャーとしてのスキーが広まってきます。
レジャーからスポーツとしてのスキーに変化が訪れるのは1860年代のイギリスからだそうです。


ちなみに、メタじいがスキー板をはいて雪上に立ったのは就職して3年目のまだ20代の時に一度だけありました。
職場のツアーでスキー場へ行ったとき、いきなりリフトに乗って頂上まで行ったのはいいけれども、とてもじゃないが滑り降りる自信もなく、少しづつ斜めにすべり転んで止まるを繰り返し、ヤットの思いで下までたどり着いたのです。
その時の印象がよくなかったことで、それ以来スキー場へは行こうともしていません。


今朝もまた、全国で多数の感染者などと報道され、まだまだコロナ禍の収束は程遠い感がありますが、一刻も早く収まるよう祈るしかありません。



これまでに各種災害などで、被災された地域のみなさま


台風や水害で避難されたみなさま


みんなで気持ちをしっかり持ち


ともにがんばってまいりましょう。


復旧に向けても ともに頑張りましょう
  そして
救助・復興・治療にあたってくださる みなさま