メタじいの日常

気が付けば後期高齢者です。孫が6人にもなりました。会うたびに大きくなるのでたのしみです。

暑さに負けるな ガンバレ日本

   毎日元気なニチニチソウ


2021年8月30日(月) 


起床 6時24分  気温 27℃  降水量 0mm  湿度 75% 
天気予報  強い日差し照り付ける  まだ残暑厳しい  水分や塩分補給を
   最高気温 36℃  北西 風速 1m  注意報なし


処暑(しょしょ)
 処暑とは、暑さが少しやわらぐころのこと。
朝の風や夜の虫の声に、秋の気配が漂い出します。
      新暦 8月23日~9月6日
次候 天地始粛(てんちはじめてさむし)
     新暦 8月28日~9月1日
  ようやく暑さが収まりはじめるころ。
   夏の気が落ち着き、万物が改まる時期とされます。
 


  旬の魚介(ぐち):旬の果物(ぶどう)



今朝  6時50分  撮影 東の空   ぬけるような青空
    日の出 5時24分   日の入 18時23分
 


今朝はいつもぐらいに起きることができました。
少し寝汗をかいたようで、ねまきが湿っぽくなっていた。


急いで着替えをして庭に出る。


空一面の青空で、すがすがしく感じた。


スイレン鉢まで行くと、やはり蕾はねころんだままで、起き上がっていない。


   スイレン

よく頑張ってくれてありがとう。




   ハラン


古い葉を切り取っておいたら、新しく新芽が伸びて大きく開いてきた。
切り詰めた時に、土も入れ替えてやればと反省している。
やはり、根詰まりをおこしているようだ。



今日の天気予報では、昨日に続き残暑厳しいようだ。


一日、エアコンのお世話になってパラ輪ピックで応援します。



さて、「今日は何の日」といわれると、8月30日は「冒険家の日」でした。


1965年(昭和40年)に同志社大学南米アンデス・アマゾン遠征隊がアマゾン川の源流から130kmを世界で初めてボートで下った日が8月30日となっています。
1970年(昭和45年)、冒険家の植村直己による北アメリカ最高峰マッキンリー(6194m)単独登頂成功。


   植村直己氏


1989年(平成01年)、海洋冒険家の堀江謙一による世界最小の外洋ヨットで太平洋単独横断成功が、すべてこの8月30日に行われたことにちなんでいます。


   堀江謙一氏


2021年、日本で東京五輪2020が行われ、続いてパラ輪ピックがおこなわれていますが、世界の国の代表選手が参加して競技を繰り広げています。
その日本の代表選手の背中には英語で「JAPAN」の文字が大きくかかれています。
どうして日本のことを英語で「JAPAN(ジャパン)」と表現しているのでしょう。
中学生のころから日本を英語で言うと「JAPAN」でしたから当たり前に思っていました。
調べていくと、「黄金の国ジパング」という表現に出会いました。


この表現は、探検家マルコ・ポーロの著書『東方見聞録』に登場してくるそうです。


この著書のことばが当時の日本を表した英語表記だったというのが通説になったのだそうです。
そして、この「ジパング」が「ジャパン」に変化したというのです。


ところでマルコ・ポーロは、どうして日本のことを「ジパング」と呼んだのかと言うと、「にっぽん」や「にほん」から「ジパング」への変化は、さすがに無理があるというのです。
ここで注目したいのが、マルコ・ポーロ自身が日本に訪れたことは無い、ということです。
あくまで彼は、中国で伝え聞いた話をもとに日本を「ジパング」と紹介したのです。
つまり、彼は「にっぽん」「にほん」ではなく、中国語の「日本」を聞いていたのです。
当時の発音には諸説ありますが、中国では「日本」を「ジーペン」のように読まれていた、というのが有力だったようです。
「ジーペン」が由来なら、マルコ・ポーロの耳には「ジパング」という表現も納得できるところです。
この説の表現はあくまでも諸説の中の一つにすぎないとのことです。




ここのところ、東京2020のオリンピック終了後、連日全国コロナ感染者が増え続けています。


昨夜もパラリンピックの車椅子バスケットの模様を放送していました。
激しくぶつかり合う車椅子の動きに夢中にさせられてしまいました。



新種のウイルスが猛威をふるっているということでますます心配です。



すでに、コロナに感染され療養中のみなさま


これまでに各種災害などで、被災された地域のみなさま


台風や水害で避難されたみなさま


みんなで気持ちをしっかり持ち


ともにがんばってまいりましょう。


復旧に向けても ともに頑張りましょう


  そして


救助・復興・治療にあたってくださる みなさま