メタじいの日常

気が付けば後期高齢者です。孫が6人にもなりました。会うたびに大きくなるのでたのしみです。

国際平和に 日本人のチカラ

 

月曜日は当地域の「燃えるゴミ」の収集日でーす。自治区では、月・木曜日の10時までと決まっています。すでにいっぱいとなり、外に積んである。黄色い網は、カラスよけです。


9月21日(月)   起床7時19分  気温17℃  降水量0mm  湿度65% 
      予報   一日中晴れる   朝夕肌寒い   昼間はカラッと暑い  
             最高気温 27℃   昼間は長袖シャツが丁度よい


今朝  8時10分  北の空
    日の出  5時39分     日の入  17時50分


窓をあけると、スカッとした澄んだ空気が入り込んだ。
温度計は昨日より少し低い17℃を差している。
半袖の寝間着のままでは肌寒いので、長袖のシャツを出して着替えた。


日の出のあとであり、真っ青な空には雲ひとつない。
昨日とはうって変わった日本晴れの上天気である。
子どものころの運動会を思い出した。


着替えをして玄関をでると、サルスベリの近くに愛犬の置物がある。
かつてのオープンガーデンに参加していた時の遺物である。
今では、庭の一番奥におかれている。
首には、ウエルカムの看板をぶら下げた親子の像である。


その近くの草むらから、1本だけ「彼岸花」が茎をのばして出ていた。
今日か、明日にはつぼみが開いてくれるであろう。


今日は何の日」を調べてみた。
「敬老の日」であるが、今年のイベントは中止となり、記念品の配布のみとなって終わっている。
そのほかにないかと調べると、きょう、9月21日は「国際平和デー(International Day of Peace)」、通称ピースデーとわかりました。
そしたら、この日の設立にひとりの日本人のチカラがあったことを知ったので、国連の資料をもとに紹介します。
『毎年、ニューヨークの国連本部で記念式典がおこなわれ、国連事務総長が「平和の鐘」と呼ばれる鐘を打ち鳴らします。
そして「たった一日でも戦争のない日を」と、世界の紛争地に向けて停戦、非暴力が呼びかけられます。


毎年9月は国連総会が始まる時期にもあたり、各国の代表が集まる機会に「平和とは、日々、すべての国でみなが取り組むべきもの」(2016年国連事務総長スピーチより)と、平和への思いを共にする日でもあります。
この時期、紛争地に食料や緊急支援を届けようという国際的な動きも活発になります。
ピースデーを祝って打ち鳴らされる「平和の鐘」。
この鐘を国連に贈ったのは、一人の日本人(中川千代治)なのです。


その中川千代治さんは太平洋戦争のビルマ戦線に参加し、部隊でただ一人生き残った元兵士です。自身も撃たれ意識を失い、気がついた時、仏塔パゴダの中で鐘の音を聴いたという千代治さん。
二度とこんな悲惨なことを繰り返してはならない、世界平和を象徴する鐘を国連に置きたいと、私財をなげうって鐘設置のために奔走しました。

  中川さん(資料を拝借)

千代治さんは、故郷の愛媛県宇和島市に日本国連協会の支部を立ち上げ、1951年、パリで開催された国連総会にオブザーバーとして出席するため自費で渡航します。
そこでスピーチをする機会を得た千代治さん、日本が第二次世界大戦中におこなったことに対しておわびをした後、こう訴えました。
「なぜこのような戦争を繰り返さなければならないのか、それは人間の心の問題です。私は二度と戦争が起きないように、世界の人々の心に響くものをつくりたい」


国を越えて一人一人の平和への願いを込めるために、世界中のコインを集めて溶かして平和の鐘を作りたいという千代治さんの情熱に、その場にいた60ヵ国以上の代表者が自分の持っていたコインを差し出したといいます。


当時はまだ日本が国連に加盟を許されておらず、平和の鐘の計画が満場の一致をもって受け入られたことは奇跡に近い出来事でした。

こうして1954年、平和の鐘が国連本部に設置されました。
以来、その響きを世界平和のために届けてきました。』


思いはあっても、実行に移すということはそんなに容易にできるものではありませんね。
今日の日本晴れのように、心までスッキリとしました。


今日の最高温度は27℃と低い予定ですが、まだ油断はできません。
アッ・・ 前のゴミ集積場に収集車の音がしてきました。
休み中と言うこともあり、量も多いことからいつもより少し遅れてきたようです。



コロナ禍は一向に収まる気配もありませんが、これまでに被災された地域のみなさま


台風や水害で避難されたみなさま


これからも試練は続きます。


復旧に向けても ともに頑張りましょう
         そして
  災害救助・復興にあたってくださる みなさま