メタじいの日常

気が付けば後期高齢者です。孫が6人にもなりました。会うたびに大きくなるのでたのしみです。

メタじいの2022年5月6日(金))

   今日の植物  セイヨウジュウニヒトエ 


今日の天気予報  

起床 6時35分  気温 11℃  降水量 0mm  湿度 70%
最高気温 25℃  風 0m  注意報なし  紫外線対策と水分補給を
今日はウッスラと雲広がるが、晴れて気持ち良い  昼間は初夏の陽気   
日の出 4時55分   日の入 18時40分


今朝の空

今朝  7時15分 北の空   今日は一日中、青空の予報。
今朝は、日差しは弱いがさわやかな日となった。 


七十二候

立夏 (りっか)
  立夏とは、しだいに夏めいてくるころのこと。
  あおあおとした緑、さわやかな風、気持ちいい五月晴れの季節です。
      新暦 5月5日~5月20日


初候 蛙始鳴 (かえるはじめてなく)
    新暦 5月5日~5月9日
   野原や田んぼで、蛙が鳴き始めるころ。
   オスの蛙が、メスの蛙を恋しがって鳴く声だとか。 

   
   旬の魚介(キンメダイ):旬の野菜(にんじん)


今朝の庭

今朝 6:55 日差しはないが、芝生が刈り揃えられて気持ちがいい。
 


きょうよう(今日の用事)

今日も、買い物以外は予定の用事はとくにない。



本日の主なうごき

6:40  カーテン越しに外を見ると、すでに明るいが日差しは届いていない。


今朝は11℃であり、肌寒さはなく素早く着替えをした。


   


着替え後は、いつものようにパソコンを立ち上げて、LINEやメール、ブログに目を通す。


7時30分になったので裏口から裏の庭に出て行く。


コンクリの打ってある割れ目に、小さな植物がたくさんの実をつけていた。


   カタバミ


すぐ近くには、枯れそうになって冬を越した植物が、暖かな気候に元気を取り戻してきた。


   シロタエギク


裏山の斜面にも、良く目立つ黄色い花がある。


   エニシダ


  拡大してみる

エニシダ属は常緑または落葉性の低木で、ヨーロッパ、北アフリカ、カナリア諸島、アジアに分布します。
乾燥地で無駄に水分が奪われないよう葉は小さく、その分、緑色の枝でも光合成が行われます。
5月から6月に鮮やかな黄色の花が、輝くように株を包みます。
耐寒性もあり、やせ地でも育ちますが、寿命は10年ほどです。



   ローズマリー



日陰に咲いている花


   クリスマスローズ


   スペアミントの若葉


世の中の主な動き

昨日の
コロナ新規感染者情報  (5月5日 18:00 時点)
     ( )内は前々日の記録 
全国  2万0779人 (2万6469人 )
愛知県    886人 (1127人) 
豊田市     48人 (59人) 


コロナ感染者は、増えたり減ったりしてしつこく残っていますね。



「明日は何の日」
◎ 5月7日は「博士の日」です。
1888年(明治21年)の5月7日、植物学者の伊藤圭介、数学者の菊池大麓、物理学者の山川健次郎など25人に日本初の博士号が文部省によって授与された。
この時、法学博士、医学博士、工学博士、文学博士、理学博士の5種類の博士号が設けられた。


当時の博士号は論文の提出によるものではなく、教育への貢献を評価されたものだった。
論文による本格的な博士が生まれたのは、それから3年後の1891年(明治24年)からである。
また、当時は「博士」の上に「大博士」の学位があったが、該当者がないまま1898年(明治31年)に廃止された。


「はかせ」と「はくし」は異なり、博士(はかせ)は伝統ある大化の改新以来の官職で、学生を教育するのが役目だった。
一方、明治になって定められた学位が博士(はくし)で、英語では「Doctor」である。
博士の学位には「Doctor of Philosophy」も使われる。
直訳すると「哲学博士」であるが、「Philosophy」には「高等な学問」という意味もあり、日本の博士号に相当する。


植物学者・男爵の伊藤圭介(いとう けいすけ)は、「雄しべ」「雌しべ」「花粉」という言葉を作ったことでも知られる。
1881年(明治14年)、東京大学理学部教授に任ぜられた。
1901年(明治34年)、慢性胃腸炎のため98歳で亡くなったが、死の直前に学者として初の男爵を授けられた。


数学者・男爵の菊池大麓(きくち だいろく)は、蕃書調所(ばんしょしらべしょ;東京大学の前身)で英語を学び、1867年(慶応3年)と1870年(明治3年)の2度に渡りイギリスに留学した。
2度目の留学ではケンブリッジ大学で数学と物理学を学び学位を取得、帰国後1877年(明治10年)、東京大学理学部教授となり、近代数学を初めて日本にもたらした。


物理学者・男爵の山川健次郎(やまかわ けんじろう)は、1879年(明治12年)に東京大学理学部において日本人として初の物理学教授となった。
1901年(明治34年)、48歳の若さで東京帝国大学総長となった。
その後、1911年(明治44年)に九州帝国大学の初代総長、1914年(大正3年)に京都帝国大学総長にもなっている。



◎ この他(5月7日)は何の日?
  コナモンの日
  ブラックモンブランの日
  粉の日
  ココナッツの日    
  などがある。



それでは、また明日