メタじいの日常

気が付けば後期高齢者です。孫が6人にもなりました。会うたびに大きくなるのでたのしみです。

メタじいの2022年4月30日(土)

  今日の花  シャスタデイジー  


今日の天気予報  

起床 5時31分  気温 7℃  降水量 0mm  湿度 77%
最高気温 18℃  南の風 1m  注意報なし  
今日は日差しが届くも段々と雲広がる  昼間は日差しがポカポカと感じられる  
日の出 5時01分   日の入 18時35分


今朝の空

今朝  6時35分  南の空   今日の天気予報では、午前中から晴れマーク。


七十二候

穀雨 (こくう)
穀雨とは、たくさんの穀物をうるおす春の雨が降るころのこと。
この季節の終わりには、夏のはじまりを告げる八十八夜が訪れます。
      新暦 4月20日~5月4日
末候 牡丹華(ぼたんはなさく)
    新暦 4月30日~5月4日
   牡丹の花が咲きだすころ。
   中国では、牡丹は花の王さまというほど愛でられてきました。 
   
   旬の魚介(さざえ):旬の野菜(こごみ)


今朝の庭

今朝 5:35  青空で日差しはないが、ようやく火の見やぐらに日が当たってきた。
 


きょうよう(今日の用事)

今日の予定は、とくになし。
地面が湿っているので、雑草を抜き取るには良い日となるが。


本日の主なうごき

5:45  カーテン越しに外を見ると、すでに明るく昨日のような蒸し暑さは残っていない。


かえって肌寒さをおぼえ、素早く着替えを終えた。


   


着替え後は、いつものようにLINEやメールに目を通し、ブログ巡りをする。


庭にも日差しが届いてきたので、玄関から庭に出て行く。


玄関には、母の日用のカーネーションの鉢が増えている。


   カーネーション



東の門の外に石うすを置いて、水草を生やしている。
最近になって新芽が出そろってきた。


   水草の水槽

まだ名前は分からないが、花が咲いてきたら調べようと思う。
今、花芽が2本伸びてきている。



東口から前の通路に出て、垣根にそって西に向かう。
垣根の根元に、花が開いていた。


   ヒルサキツキミソウ



さらに進むと、一塊の花が咲いていた。


   シャスタデイジー

シャスタデージーは、アメリカの著名な育種家がフランスギクに日本のハマギクを交配して作出した園芸品種だそうです。
秋から冬はロゼットになり、春になると花茎を伸ばして、その先端に花径5~10cmの花を咲かせます。
花はマーガレットに似ており、マーガレットが咲き終わったころから開花するので、両者を混植すると白花が移り行き、長期間ホワイトガーデンを楽しむことができます。
花形は一重、八重、丁子咲きなどさまざまです。
耐寒性に富み、常緑なので、冬の花壇が寂しくなりません。



南の門のモッコウバラのアーチを潜り抜けて、庭に戻る。


   朝日を浴びる石像


庭の花壇には、まだ太陽の光は届かない。


   バーベナ

日当たりと水はけのよい場所に植えれば初夏から晩秋まで長期間花が楽しめます。
高温多湿には弱いのでなるべく風通しのよい場所に置きます。
夏は花数が少なくなるので切り戻して蒸れさせないようにします。



さらに進んで、母屋の方へ上がっていく。


   朝日をあびる石灯篭



石庭の隅に緑のかたまりができていた。


   キリンソウ

北海道から九州までの広い範囲に自生するベンケイソウ科の多年草。
これはセダムの一つであり、高山帯から海岸の岩場まであらゆる環境に耐え、肉厚な葉を持つ。
開花は6~8月で、鮮やかな黄色の花が茎の先端でまばらに咲く。
花びらと萼片は5枚あり、両性花だが、花弁よりやや短い10本の雄しべが目立つ。
葉は歪んだ卵形で先端にはやや丸みが、縁には浅いギザギザがあって茎から互い違いに生じる。
キリンソウは薬用及び食用にされ、虫刺されや切り傷にはすり潰した葉の汁を塗ると効果があるという。
また、食糧難の時代には摘み取った葉を茹でて日干し、乾燥したものを保存食とも言われていたようだ。



石段を下りて、玄関へ戻ってきた。


   石段から



世の中の主な動き

昨日の
コロナ新規感染者情報
 (4月29日 18:10 時点)


  ( )内は前々日の記録 


全国  3万6672人 (4万1756人 )


愛知県   1859人 (2313人) 


豊田市     95人 (141人) 


コロナ感染者は、増えたり減ったりしてしつこく残っていますね。



「明日は何の日」

◎ 5月1日は
「日本赤十字社創立記念日」
です。


1877年(明治10年)5月1日、佐野常民(さの つねたみ)、大給恒(おぎゅう ゆずる)らが赤十字社の前身となる「博愛社」を設立し、西南戦争の負傷者を政府軍・西郷軍の区別なく救護した。


   西南戦争での救護


設立の際、政府に申請を出したが、敵味方の区別なく救護を行う博愛社の精神が理解されず、許可されなかったため、有栖川宮(ありすがわのみや)征討総督に直接請願書を提出してやっと政府の許可が下りた。
1886年(明治19年)11月15日に日本政府がジュネーヴ条約(赤十字条約)に参加したことに伴って、翌1887年(明治20年)5月20日に「博愛社」から「日本赤十字社」と改称し、万国赤十字社同盟に加盟した。
博愛社は日本赤十字社と改称し、佐野が初代社長に就任しています。


西南戦争において最大の激戦地となったのは、現在の熊本県植木町の田原坂(たばるざか)一帯であり、日本赤十字社(博愛社)の発祥の地は、熊本であるとされる。
熊本県玉名市岩崎にある玉名女子高等学校の敷地内に「日本赤十字社発祥之地」という石碑が建てられている。
この場所は、西南戦争の時に臨時の県庁が置かれていた場所である。


佐野は「日赤の父」と呼ばれますが、「日赤の母」と呼ばれる人物が元老院議官だった大給恒です。
大給の旧名は松平乗謨(のりかた)で、徳川将軍家の親戚にあたる元大名です。
太給は博愛社本部を開き、熊本、長崎、鹿児島、大阪などの支局を設け、ひろく資金を集めました。
記録によると、西南戦争の救護に活躍したのは120人以上、救護した傷病兵は1400余名、費用総額7000余円とされています。


 西南戦争が終わると、博愛社の存在理由が議論されることになりますが、常設にすべきとの意見が勝り、小松宮彰仁親王を初代総長に、佐野、大給を副総長にして、本格的に発足します。
事務所は東京・芝公園内に新設されました。


 設立に際し、天皇・皇后両陛下から1000円を下賜されますが、国民の認識はまだまだ薄く、設立当初の社員(寄付会員)は伊藤博文や夏目漱石など38人だけでした。


一方、博愛社の本拠は、現在の東京都千代田区富士見2丁目にある東京逓信病院の付近にあった桜井忠興(さくらい ただおき)邸であり、この場所に「日本赤十字社発祥地」という木碑が千代田区によって建てられている。



◎ この他(5月1日)は何の日?
  メーデー
  水俣病啓発の日
  スズランの日
  自転車ヘルメットの日
  宅配ボックスの日
  扇の日
  恋の予感に日
  鯉の日
  コインの日
 などがある。



4月も最後の日ということで、いつもより長くなってしまいました。


それでは、また明日