メタじいの日常

気が付けば後期高齢者です。孫が6人にもなりました。会うたびに大きくなるのでたのしみです。

メタじいの2022年4月15日(金)

   今日の花  アイリス 


今日の天気予報  

起床 6時50分  気温 16℃  降水量 0.5mm  湿度 99%
最高気温 18℃  風 0m  雷注意報  植物を育てる晩春の雨
今日は午前は雨が降りやすい天気  天気は回復傾向  昼間は少しヒンヤリ傾向
日の出 5時19分   日の入 18時23分



今朝の空

今朝  7時40分  西の空   小雨降り雲の広がる空模様


七十二候

清明 (せいめい)
 清明とは、すべてのものが清らかで生き生きとするころのこと。
若葉が萌え、花が咲き、鳥が歌い舞う、生命が輝く季節の到来です。
      新暦 4月4日~4月19日
末候 虹始見(にじはじめてあらわる)
    新暦 4月14日~4月19日
   春の雨上がり、空に初めて虹がかかるころ。
   これから夏にかけて、夕立の後に多く見られる季節です。 


   旬の魚介(めばる):旬の野菜(みつば)


今朝の庭

起きて居間から庭を眺めると、明るいが小雨が降っていた。



きょうよう(今日の用事)

 今朝も小雨のために庭の草取りはなし。
 身体のあちこちに疲れがでてきた。
 休養のチャンスととらえて、出かける用事はリハビリを兼ねての買い物だけにしよう。



本日の主なうごき

 7:15 天気に合わせて、何を着ようかと迷いながら着替え完了。


   いつものようにLINEやメールに目を通し、その後はブログ巡りをして小雨の様子を見ながら待つ。


   


 7:40 まだ降っていたが庭に出る。


 スイレンの葉っぱの上に、水滴ができている。
  スイレン鉢



浄化槽のまわりの植え込みに、アケビのつるがのびてきた。
  アケビ


アケビ(木通)の蕾で、花は4月から5月にかけて開き、雌雄があるが同じ木に咲く。
雌花は雄花より大きく、クラゲのような感じになる。
アケビの花言葉は「才能」「唯一の恋」など。


ツツジの木も蕾がおおきくなってきている。
  白いツツジ



世の中の主な動き

 昨日の
コロナ新規感染者情報
 ( )内は前々日の記録 


  (4月14日 18:30 時点)


全国  5万5294人 (5万7758人 )
愛知県   2933人 (3430人) 
豊田市    166人 (173人) 


コロナ感染者は、一気にはなかなか減ってこないですね。


「明日は何の日」

◎ 4月16日は
「チャップリンデー」
です。


20世紀最大の喜劇俳優と称され、映画作家でもあったチャールズ・チャップリン氏が、1889(明治22)年4月16日にイギリスで誕生したことを祝して制定された記念日。


トレードマークとなった、口ひげ・ステッキ・山高帽などを取り込んだ独特のスタイルで、社会風刺色強い多くのサイレント映画に出演し、その映画は世界的な人気を誇りました。
   チャップリン

また、同氏の映画に対する情熱は熱く、映画俳優・映画監督・コメディアン・脚本家・映画プロデューサー・作曲など、全てを一手にこなしていた稀代の映画マンだったと後世に語り継がれております。


サー・チャールズ・スペンサー・チャップリン(1889年4月16日 - 1977年12月25日)は、イギリス出身である。
サイレント映画時代に名声を博したコメディアンで、山高帽に大きなドタ靴、ちょび髭にステッキという扮装のキャラクター「小さな放浪者(英語版)」を通じて世界的な人気者になり、映画史の中で最も重要な人物のひとりと考えられている。
ドタバタにペーソスを組み合わせた作風が特徴的で、作品の多くには自伝的要素や社会的及び政治的テーマが取り入れられている。
チャップリンのキャリアは70年以上にわたるが、その間にさまざまな称賛と論争の対象となった。


   チャップリン

チャップリンの子供時代は貧困と苦難に満ちており、救貧院に何度も収容される生活を送った。
やがて舞台俳優や芸人としてミュージック・ホールなどの舞台に立ち、19歳で名門のフレッド・カーノー劇団と契約した。
そのアメリカ巡業中に映画業界からスカウトされ、1914年(大正3年)にキーストン社で映画デビューした。
チャップリンはすぐに小さな放浪者を演じ始め、自分の映画を監督した。
その後はエッサネイ社、ミューチュアル社、ファースト・ナショナル社と移籍を重ね、1919年(大正8年)にはユナイテッド・アーティスツを共同設立し、自分の映画を完全に管理できるようにした。
1920年代に長編映画を作り始め、『キッド』(1921年)、『黄金狂時代』(1925年)、『街の灯』(1931年)、『モダン・タイムス』(1936年)などを発表した。
『独裁者』(1940年)からはトーキーに完全移行したが、1940年代に私生活のスキャンダルと共産主義的傾向の疑いで非難され、人気は急速に低下した。
1952年(昭和27年)に『ライムライト』のプレミア上映のためロンドンへ渡航中、アメリカへの再入国許可を取り消され、それ以後は亡くなるまでスイスに定住した。
1972年(昭和47年)に第44回アカデミー賞で「今世紀が生んだ芸術である映画の製作における計り知れない功績」により名誉賞を受賞した。


   授賞式のチャップリン(右)



◎ この他(4月16日)は何の日
 ボーイズビーアンビシャスデー
 女子マラソンの日 
 エスプレッソの日
 康成忌 など




それでは、また明日