メタじいの日常

気が付けば後期高齢者です。孫が6人にもなりました。会うたびに大きくなるのでたのしみです。

気分はすっかり春です

   朝日のあたる今朝の庭


2022年3月14日(月)


起床 7時15分  気温 11℃  降水量 0mm  湿度 63%
天気予報 今日は天気回復し、日差しが届く  一日を通してすごしやすい体感  
最高気温 21℃  風速 0m  雷注意報  花粉対策を


啓蟄(けいちつ)
 啓蟄とは、陽気に誘われ、土の中の虫が動き出すころのこと。
一雨ごとに春になる、そんな季節の気配を感じながら。
      新暦 3月5日~3月19日
次候 桃始笑(ももはじめてわらう)
     新暦 3月10日~3月14日
   桃のつぼみがほころび、花が咲きはじめるころ。
   花が咲くことを、昔は、笑うといっていました。 

   
  旬の魚介(さより):旬の野菜(新たまねぎ)



今朝  7時40分  撮影 西の空   快晴の青空
日の出 6時03分   日の入 17時57分
  


昨夜は雨や風の影響で、雨戸の音が激しく聞こえ、雨と風がまざったような暴風雨のようであった。


今朝は静かなもので、温かい朝であり、すでに外は明るくなっていた。


すぐに日の光が届き、庭が一段と明るくなってきた。


着替えを済ませて玄関へまわる。
棚の上の一輪挿しに差してあるツバキが開いていた。


   ツバキの一輪差し


入り口には、冬越しをしたシクラメンに蕾が出ていたが、やっと開きだしてきた。


   シクラメン


庭に出てみると、パッと明るさが強くなった気がした。
芝生には湿り気がまだ残っている。


スイレン鉢は、雨水で一杯になりあふれていた。


   スイレン鉢



さらに奥へ行くと、水分の補給ができたようでスイセンの蕾が大きくなり今にも開きそうになっていた。


   スイセンとビオラ



あたりの空気からも、すがすがしい感じが伝わってきています。



ひと回りしたところで部屋に入り、昨日のコロナ情報を調べた。


昨日3月13日の新規コロナ感染者情報 ( )内は前日記録 


全国  5万0949人   (5万5328人 )


愛知県   2547人   (3574人) 


豊田市    110人   (170人) 


減ってきてはいるが、まだ多い。



さて、「明日は何の日」というと、3月15日は「涅槃会の日」です。


涅槃会 ( ねはんえ )は、 涅槃講 や 涅槃忌 ともいわれ、陰暦 2月15日 、 釈迦 の入滅(にゅうめつ)の日に、 日本 や 中国 などで勤修される、釈迦の遺徳追慕と報恩のための法要である。
現在では、 3月15日 に行なわれていることがおおくなっているので、「涅槃会の日」となっています。


涅槃 とは、釈迦が亡くなったという意味で、お釈迦さまが入滅された陰暦2月15日に勤める追悼報恩のための法要です。
お釈迦さまのお誕生を祝う花まつり(灌仏会4月8日)や、さとりを開かれたことを記念して行う成道会(12月8日)と並んで、お釈迦さま三大法要の一つに数えられます。


仏教では「涅槃(ねはん)」とはさとりの境地、苦しみが消滅した状態を意味します。
お釈迦さまがこの世での命を終えたこと(入滅=にゅうめつ)により、身体的な苦からも脱して完全な「涅槃」に至ったとすることから、お釈迦さまの入滅を「涅槃」と称しています。


   お釈迦様の最期の様子を描いた「涅槃図」


この「涅槃図」は、お釈迦さまが沙羅双樹の木の下で、頭を北にして西を向き、右脇を下にした姿で臥している最期の様子を描いたものです。


お釈迦さまは、紀元前5世紀ごろルンビニ(ネパールとインドの国境付近)で生まれ、やがて人生の無常を憂い出家し、35歳でさとりを得ます。
以後、修行の旅に各地を巡り、煩悩が引きおこす苦しみから逃れ、安らぎを得るという教えを人々に授けました。


   お釈迦様の伝道の旅


伝道の旅は、80歳で亡くなられる寸前まで続きました。


ここで「涅槃会」に際し、お釈迦様のたとえ話がありましたのでひとつ紹介します。


80歳になったお釈迦さまが、マガダ国の都・王舎城(おうしゃじょう・ラージギール)郊外の霊鷲山(りょうじゅせん)で教えを説いていたある日のこと、王の使者がお釈迦さまを訪れました。
当時のインドはいくつもの国に分かれ争っており、マガダ国王も隣のヴァッジ国を滅ぼそうと計画し、それが可能か助言を求めてきたのです。
これを聞いたお釈迦さまは、答えを待つ使者には何も言わず、傍らにいた弟子のアーナンダ(阿難)に、問いかけました。
「アーナンダよ、ヴァッジ国ではしばしば会議が開かれ、それに数多くの人が出席するというのは本当か」。
アーナンダは「そのとおりです」と答えました。
続いてお釈迦さまは「ヴァッジ国では人々が互いに協力し、なすべきことをなしているか?」と問い、アーナンダはまた「そのとおりです」と答えました。
その後、お釈迦さまは同じように、
「定められたことを守り、法にしたがって行動しているか」、
「年長者を尊重し、その言葉に耳をかたむけているか」、
「暴力がなく、婦女の誘拐もないか」、
「自分たちの聖地を尊び、よく供養しているか」、
「智慧ある修行者を尊重し、保護と支持を与えているか」と質問を繰り返し、そのすべてにアーナンダは「そのとおりです」と答えました。


そこで初めてお釈迦さまは使者に向き直り「私はかつてヴァッジ国の人々に、この七つの法を説いた。この法が守られている限り、その国は滅びず、繁栄を続けるだろう」と語ったのです。
使者はこれを聞き、国王に武力での侵攻を諦めるよう伝えたといいます。
使者が去った後、お釈迦さまは近隣に住む弟子たちをすべて集め、教団が滅びないための法を語り、そしてこれらを守るよう伝えた後、霊鷲山を下り、アーナンダほか少数の弟子とともに北へと旅立ちました。
それはお釈迦さまの生まれたルンビニへと向かう道で、一説には、自らの死期を知り、故郷へ向かったものともいわれています。
これがお釈迦さまの最後の旅となったといわれています。



それでは、また明日