メタじいの日常

気が付けば後期高齢者です。孫が6人にもなりました。会うたびに大きくなるのでたのしみです。

「五七の桐」が代表です

7月30日(木)   起床 6時44分   曇り空なれど明るい  ちょうどいい
           気温 24℃  降水量  0mm  湿度 100%。


           天気予報   日差しの届くことあれど雲多い  ムシ暑さあり
                  湿気がまとわりつく暑さ    雷注意報


朝のニュースでは、梅雨明けが話題にのぼっていました。
もう少しの辛抱です。


まずは、もやもやから片づけていきます。
連日の桐についての疑問でふたつめは、「桐の紋章について」です。


全国には、デザインや形が違うが桐の入った紋章は150種類を数えます。
その桐の紋はどのようにして増えてきたのでしょうか。
まず、現在の日本政府は、「五七の桐」紋を使用しています。

      


「五七の桐」は桐花紋の代表的なもので、3枚の桐の葉の上に中央に7つの桐花を、その左右にそれぞれ5つの桐花を配した図柄となっています。
こんなものにも使われていました。

     五百円硬貨も桐があります。


「五七の桐」がもととなり、いろいろなデザインがうまれてきております。


   

   

 

桐紋のモチーフとなったのは、当然「キリ」の木と花ですが、このキリの木を神聖視する風潮は、かつて大帝国であった中国で生まれたものだそうです。
その由来は、「竜」や「麒麟」などと並ぶ、ありがたい「瑞獣(ズイジュウ)」とされる「鳳凰」伝説が元となっていたのです。
  ※瑞獣とは、その出現が、吉兆の知らせとされる空想上の獣
鳳凰は、霊泉と呼ばれる泉の水を飲み、竹の実だけをその餌とし、その止まり木には唯一、キリの木を選ぶとされていたのです。
このようないわれから、かつては「桐」と「竹」と「鳳凰」は、セットで文様などに用いられていたのです。
鳳凰の出現は「徳の高い天子による平安な治世」を意味したため、中国の皇帝はもちろん、その強い影響下にあった当時の日本を含む、東アジア各国の支配階級の間でも、この鳳凰の止まり木とされるキリの木を神聖視する考えが広がったといいます。
そこで、桐紋が皇室専用の紋章として使用された。
そのきっかけになったとも言える「桐竹鳳凰文」を天皇の正装と定める法制化が為されたのが、9世紀の前半頃とされています。
現在、皇室の紋章として知られる「菊の御紋」が、後鳥羽上皇により用いられたのが13世紀の初頭である事を考えれば、桐紋の方が実に400年近く皇室の紋章としての歴史が古いということになります。
このように皇室専用の紋章として定着していた桐紋が、「建武の新政」で有名な後醍醐天皇により、鎌倉幕府打倒の勲功第一とされた足利尊氏へ、桐紋の下賜が行われた。
この前例のない取り計らいをきっかけに、皇族以外の桐紋の使用が始まる事になったという。


公に皇室由来の桐紋の使用を認められた足利将軍家は、自家のみの使用にとどまらず、勲功のあった一門衆や、守護大名への行賞として利用した。
こうした動きは、室町政権下において続いたもので、その代表的な例は織田信長も足利義昭により桐紋を賜っていた。
戦国乱世を統一し、関白として政権を樹立した豊臣秀吉も、足利将軍家の先例にならい、皇室より桐紋を賜ったということのようです。


ちなみに、現在の皇室のご紋は、「菊のご紋」とよばれ、明治政府になって正式にさだめられ、八重菊がもとになっています。


みなさんの家庭には、どのような紋章がうけつがれているのですか。
この機会に確かめておくのもいいですよ。


災害被災地のみなさま
梅雨あけは間近と思われます。


あと少しの辛抱です。


復旧に向けて頑張ってください


         そして


  災害救助・復興にあたってくださる みなさま