春の気配を大いに感じる朝
暖かな日差しを浴びるビオラ
2022年2月20日(日)
起床 7時25分 気温 4℃ 降水量 0mm 湿度 85%
天気予報 今日は雲が多めでも段々と日差し出る 冷たい北風となり極寒も
最高気温 8℃ 北西の風 1m 低温注意報
雨水(うすい)
雨水とは、降る雪が雨へと変わり、氷が解け出すころのこと。
昔からこの季節は農耕の準備をはじめる目安とされてきました。
新暦 2月19日~3月4日
初候 土脈潤起(どみゃくうるおいおこる)
新暦 2月19日~2月23日
早春の暖かな雨が降り注ぎ、大地がうるおいめざめるころ。
古くは「獺魚(かわうそうお)を祭る」という不思議な季節とされていました。
※ 獺(かわうそ)は取った魚を岸に並べてなかなか食べようとしないから
旬の魚介(とびうお):旬の野菜(キャベツ)
今朝 8時10分 撮影 東の空 青空広がる上天気
日の出 6時32分 日の入 17時38分
今朝は、すごく暖かい春を感じた。
着替えて玄関へいくと、外の景色に春を見た。
すでに陽光が庭に届き、日の光にも温かみを感じる。
玄関からの庭
玄関を出てみるとここにも陽光をいっぱいに受けたうさぎたちがいた。
出迎えのうさぎ
さらに進むと、霜の降りた時のビオラではなく、太陽の暖かな光を浴びたビオラが復活していた。
初春のビオラ
花壇をひと回りすると、東口へ行く。
朝日に照らされた入り口
今日は気持ちの良いすがすがしい朝だ。
午前10時から、地区の公民館で高齢者クラブの会計監査が予定されているので早めにひと回りして、部屋に戻った。
一息つくと、昨日のコロナ情報を調べるがまだ数字が大い。
昨日2月19日の新規コロナ感染者情報 ( )内は前日記録
全国 8万1621人 (9万5208人 )
愛知県 5761人 (6385人)
豊田市 283人 (303人)
新型コロナウイルスは、まだまだ感染者が多い。
さて、「明日は何の日」というと、2月21日は「漱石の日」です。
夏目漱石が1911年(明治44年)2月21日に、文部省からの文学博士号授与を辞退したことからそう呼ばれるようになったとされています。
夏目漱石と言えば、「こころ」「坊ちゃん」「吾輩は猫である」など、数々の名作を残した文豪として有名です。
国語の教科書で初めて漱石の作品に触れたという人も多いと思いますので、「漱石」についてパソコンで調べてみました。
夏目漱石
「漱石」は慶応3年に東京で生まれ、東京帝国大学を卒業して松山中学校で英語の教師になりました。
「夏目漱石」は本名「夏目金之助」のペンネームであり、「漱石枕流」という四字熟語がもととなっています。
漱石枕流とは、頑固者・ひねくれ者を表す言葉でした。
これが自分の性格にぴったりだと考えた漱石は、この言葉をペンネームにしたと言われています。
しかし実はこのペンネーム、もともとは漱石のものではなかったようです。
漱石の友人、正岡子規のものでした。
正岡子規が「走兎」「風廉」「四国仙人」など、多くのペンネームを持っていたことは有名だったそうです。
その数はなんと100以上とも言われています。
その数々のペンネームの中に「漱石」がありました。
それをもらう形で「夏目漱石」というペンネームが生まれたのだそうです。
夏目漱石というペンネームを付けたのには、友人の正岡子規が関わっていたのです。
また、漱石は作家としてだけではなく教師としても活躍していました。
そんな彼を慕う教え子たちは多く、教職を辞してからもたくさんの教え子たちが入れ代わり立ち代わりで彼のもとを訪れていました。
しかしこれでは創作活動がはかどりません。
彼の創作活動が滞ることを懸念した鈴木三重吉は、「面会は木曜日の午後3時とする」と取り決めました
このことから、漱石と教え子たちの会合「木曜会」が始まったのです。
その木曜会には、芥川龍之介、内田百閒、菊池寛など、多くの著名作家たちも参加していました。
木曜会の参加者たちは、漱石が死去した後も親交を持ち続け、漱石の命日である12月9日にちなんで毎月9日に「九日会」という会合を開催していたそうです。
頑固者として周囲の人々を困らせていたとも言われる漱石ですが、先生としてたくさんの教え子たちに慕われていたのです。
夏目漱石は、1984年(昭和59年)11月1日から1000円札にもなっていた。
懐かしい1000円札の漱石
2004年(平成16年)10月31日まで野口英世に変わるまでお札として登場していました。
では、また明日。
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