寒さに耐えると温かい春がくる
ウッスラと霜の降りた庭
2022年1月29日(土)
起床 7時02分 気温 -2℃ 降水量 0mm 湿度 79%
天気予報 今日は雲広がるも日差し届く 昼間も気温上がりにくい 一日防寒を
最高気温 7℃ 西北西の風 1m 注意報なし
大寒(だいかん)
大寒とは、一年で最も寒さが厳しいころのこと。
日がしだいに長くなり、春へ向かう時期でもあります。
新暦 1月20日~2月3日
次候 水沢腹堅(みずさわあつくかたし)
新暦 1月25日~1月29日
沢の水が厚く張りつめるころ。
日本の最低気温-41℃は、この時期に。
(明治35年月25日 北海道旭川市で記録)
旬の魚介(わかさぎ):旬の野菜(みずな)
今朝 8時10分 撮影 西の空 うすい雲の広がる空
日の出 6時52分 日の入 17時15分
今朝は3時まえにトイレに起きたが、外はまだまっ暗なのでベッドに戻ってまた寝た。
昨夜はよく冷えたようで、起きた時には7時すぐであったが部屋の空気は冷え切っていた。
ストーブをつけてしばらく火のゆらめきを眺めていた。
着替えをすると、外の明るさはやや増してきたが太陽の強い光ではなさそうだった。
内側の玄関から
板戸を開けてると。
玄関からの眺め
玄関を開けて外をみると、ウッスラと霜が降りたようで、うすい雲が広がっている。
玄関には、妻が50年ぐらい前に結婚したころ作成した粘土の作品が、今も明日を見つめて立っている。
明日を目指して
庭に出ると、円形花壇の中央に、タヌキの鉢があり、今朝の寒さに驚いている。
タヌキ驚く
厳しい寒さが行ったり来たりで、ビオラもしっかり耐えている。
近くにあるハランも、段々と色あせてきている。
ハラン
枯れる前に、早く暖かくなってと願うのみである。
春を待つ庭
庭巡りのあとで新聞をとって部屋に戻る。
早速、昨日のコロナ情報を見る。
昨日1月28日の新規コロナ感染者情報 ( )内は前日記録
全国 8万1811人 (7万8920人 )
愛知県 5267人 (5160人)
豊田市 206人 (269人)
新型コロナウイルスは、まだまだ感染者が増えている。
さて、「明日は何の日」というと、1月30日は「3分間電話の日」でした。
1970年(昭和45年)1月30日、日本電信電話公社(略称: NTT)の市内電話の料金が3分間10円になったことが由来となっている。
これは公衆電話からの料金で、それまで1通話10円で、時間は無制限だった。
そのようなことから、3分間10円は長電話防止のために始められたものだった。
現在は携帯電話・スマートフォンの時代だが、この時代には「テレホンカード」も、100円硬貨の使える「黄電話」もまだなかった。
青電話・赤電話
「青電話」は1968年(昭和43年)に登場し、ダイヤル市外通話が可能となった。
黄電話が登場したのは1972年(昭和47年)のことで、高額通話が増加したことから導入された。
黄電話は100円硬貨も使えたが、構造やスペースの都合により釣り銭が出なかった。
そのため、「100円玉でモシモシ お釣りはデンデン」などとも揶揄されたが、大量の10円硬貨を必要としないメリットがあった。
テレホンカードは1982年(昭和57年)12月に発行・発売が開始された。
公衆電話は1990年代以降の携帯電話の爆発的普及により、急速に姿を消すまで全国に設置されていたなじみ深い公衆電話だった。
最近では自然災害の多い日本ですが、実は現在でも災害時に不通になって、不便な状態になった携帯電話に替わって、緊急時の連絡ツールとして重要な存在として注目されています。
電話事業が始まった当初は電話機自体が非常に高価で、一般民衆の手の届くものではありませんでした。
そのため電話を必要としている人が使えるための電話機の設置が行われるようになり、これが公衆電話の起源だとされています。
スマホが普及し、電話は今では一家に1台ではなく、一人に1台の時代になってきて話す時間も長くなっていますが、当時は話す時間も制限されて貴重な時間だったのですね。
最新のスマホ
スマホなどで通話も楽にできるようになりましたが、当時の事を思い出し、長電話も控えたいものです。
関連する記念日として、12月16日は「電話創業の日」、9月11日は「公衆電話の日」、10月23日は「電信電話記念日」、12月23日は「テレホンカードの日」となっている。
では、マタ明日。
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