技術の進歩についていけますか
道路沿いに張り巡らされている送電線
10月23日(金) 起床5時24分 気温17℃ 降水量12mm 湿度92%
天気予報 雨降りの朝 午後には止む 昼間は気温のわりに肌寒い
最高気温 19℃ 一日の気温差少 雷注意報
今朝 7時15分 西の空 雨雲に覆われる
日の出 6時4分 日の入 17時07分
霜降(そうこう)
霜降とは、朝夕にグッと冷え込み、霜が降りる頃のこと。
初めは山の方で、12月に入ると平野にも霜がやってくる。
新暦 10月23日~11月6日
初候 霜始降(しもはじめてふる) 新暦 10月23日~27日
霜が初めて降りるころ。
農作物には大敵。足元から冷えがこないように気をつけて。
今日から七十二候でいう「霜降」ということで、さぞかし寒い朝になるだろうと予想をしていたのに、起きてみると温かくさえ感じた。
窓の外は、暗くて静かである。
道路も通勤時間帯より前で、時折車が通て行く程度で静かである。
着替え後、パソコンのスイッチを入れ、ストーブも点火してから新聞を取りに行く。
だんだんと雨音も大きくなってきたので、庭にもでられません。
今日の予定は、整体院での治療のみです。
朝食を済ませたら、ゆっくりと出かけます。
さて「今日は何の日」。
10月23日は「電信電話記念日」です。
これは明治2年9月19日(新暦の10月23日)に東京横浜間の電信線の設置工事が始まったのを記念するものでした。
電信技術を日本に紹介したのは、かの有名なジョン万次郎だったのです。
万次郎は元は漁師で船が嵐にあい漂流していたところをアメリカ船に救助され、そのままアメリカへ連れて行かれたあと、1851年に日本へ帰ってきた人です。
1853年にペリーが来航、万次郎はこの後、貴重な英語通訳として大活躍することになります。
万次郎は帰国した時にアメリカで見た電報や蒸気機関車を幕府に報告していましたが、そのあと彼は1860年、咸臨丸に乗って今度は正式の幕府の使節の一行としてアメリカを訪れ勝海舟らとともに再度この進んだ技術を見てきました。
その後、明治政府は電信の必要性を認識し、その導入に動き出します。
明治元年(1868年)11月に寺島宗則がこの計画の推進を指示され、イギリスから技術者を招き、まず横浜弁天灯明台役所から本河通り裁判所まで760mの間に電信線を設置し、通信実験に成功します。
電信線の設置
そして9月19日(新暦10月23日)には同裁判所内に電信機役所を設置し、ここから東京税関まで32kmの電信線設置工事を開始しました。
これを日本の電信事業の出発点とみなして昭和25年『電信電話記念日』が設定されたということです。
電信技術の進歩
現在では、我が田舎の自治区ではありますが、携帯の無線中継塔が5本も建てられています。
お陰でひとりに1台ずつの電話(携帯電話)を持つぐらいに発展しています。
メタじいも、もう何台もの携帯電話を交換して使ってきました。
使い始めた時は、電話の送受信だけの機能で大喜びをしていたものです。
今ではスマホなどといい、相撲の中継まで見えるようになっています。
到底すべての機能を使いこなすところまではいきません。
未だに電話の送受信と孫とのラインがやっとできるようになったところです。
便利な時代になったともいえますが、課題もいくつか出てきていますね。
それにしても、自然というものは、はるかに人間の力を大きく超えているものです。
これまでに各種災害などで、
被災された地域のみなさま
台風や水害で避難されたみなさま
みんなで気持ちをしっかり持ち
ともにがんばっていきましょう。
復旧に向けても ともに頑張りましょう
そして
災害救助・復興にあたってくださる みなさま
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