知識の吸収と文化交流の場づくり
喫茶店
2021年4月13日(火)
起床 5時09分 気温 13℃ 降水量 0mm 湿度 63%
天気予報 雨降ったり止んだり 寒さは控え目 注意報なし
最高気温 16℃ 南東 風速 1m 午後も雲多い
清明(せいめい)
清明とは、すべてのものが清らかで生き生きとするころのこと。
若葉が萌え、花が咲き、鳥が歌い舞う、生命が輝く季節の到来です。
新暦 4月4日~4月19日
次候 鴻雁北(がんきたへかえる)
新暦 4月9日~4月13日
日が暖かくなり、雁が北へ帰っていくころ。
夏場はシベリアへ、また秋には日本へ渡ってきます。
今朝 6時25分 撮影 西の空 雨雲の広がる空
日の出 5時22分 日の入 18時22分
今朝、庭に咲いていました。
ヒラドツツジ
ヒラドツツジの花は主にピンク、白、赤、紫、赤紫などで、淡い色から濃い色までさまざまな色合いが魅力です。
花びらの中央から「しべ」が空に向かって伸び、上方の花びらにあるガイドマーク(蜜標)が、昆虫たちに蜜のありかを知らせます。
花言葉は、「愛の喜び」です。
サルスベリにも変化があらわれています。
ここの所の暖かさで、はだかの枝に新芽が出てきました。
サルスベリ
さて「今日は何の日」かというと、4月13日は、「喫茶店の日」でした。
喫茶店の日の由来は、1888年(明治21年)の4月13日、上野に日本初の喫茶店「可否茶館」(かひちゃかん)が開業したことが由来です。
可否茶館をオープンさせたのは鄭(てい)永慶という人でした。
親が外交官であった永慶は、自宅を洋館に改造して2階をビリヤード場、1階を喫茶店として運営した人です。
この人はニューヨークのエール大学に留学するほどの秀才でした。
残念ながら、病気で中途退学して帰国しましたが、英語・フランス語・中国語などを話せるインテリでした。
ただ、大学を卒業できなかったこともあり、日本でなかなか出世することができず、アメリカで見たカフェを日本で開こうと上野で可否茶館を開いたのです。
気になる珈琲のお値段ですが、珈琲1杯が1銭5厘、ミルク入り珈琲が2銭でした。
当時はもりそばが1銭ぐらいだったので、かなり高かったと言われていました。
そんなこともあってか、可否茶館はあまり繁盛していたとは言えず、最終的に鄭永慶は相場で失敗してしまいました。
鄭永慶は「コーヒーを飲みながら知識を吸収し、文化交流をする場」として可否茶館をオープンさせたのでした。
高い理想があり、時代の最先端を行っていた人物だったのでしょうが、可否茶館に時代は追いついていなかったんでしょう。
ちなみに日本で最初にコーヒーを出したのは神戸元町の「放香堂」だそうです。
可否茶館はあくまで最初の喫茶店なのです。
喫茶店
喫茶という言葉の歴史は古く鎌倉時代頃から使われていたそうです。
ただ、当時はコーヒーではなく、中国から伝わったお茶を飲むことを指していました。
外国ではカフェと呼ばれることが多いですが、外国のカフェではコーヒーに限らず、お酒などを出す店も多いようです。
カフェ
ちなみに日本ではカフェと喫茶店は保健所に営業許可によって分かれます。
喫茶店は「喫茶店営業」として営業許可を取ります。
それに対し、カフェはレストランや一般食堂、バーなどと同じく、「飲食店営業」として許可が出されます。
カフェの店内
ちなみに両者の違いは、「飲食店営業」が食品を調理し、または設備を設けて客に飲食させるもので、「喫茶店営業」は酒類以外の飲物又は茶菓を客に飲食させるものです。
和風の喫茶店
この分け方だと結構な数の喫茶店は実は営業区分上は飲食店になりますね。
コロナ感染者の感染数を見る限り、第4波となっていきそうですね。
コロナ感染症のワクチン接種が高齢者にも、いよいよ4月には順番がマワルということなので、それまで外出を控えて感染を防いでいきます。
コロナに感染され、療養中のみなさま
これまでに各種災害などで、被災された地域のみなさま
台風や水害で避難されたみなさま
みんなで気持ちをしっかり持ち
ともにがんばってまいりましょう。
復旧に向けても ともに頑張りましょう
そして
救助・復興・治療にあたってくださる みなさま
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