メタじいの日常

気が付けば後期高齢者です。孫が6人にもなりました。会うたびに大きくなるのでたのしみです。

細心の注意で安全第一

 海難事故(フェリーの転覆)


2021年2月10日(水) 


起床 5時25分  気温 1℃  降水量 0mm  湿度 73% 
天気予報  晴れて穏やかな一日  日差しの温もり 
最高気温 10℃  北西風 1m  低温注意報 


立春(りっしゅん)
  立春とは、初めて春の兆しが表れてくるころのこと
この季節から数えて最初に吹く南寄りの強い風が春一番です。
       新暦 2月4日~2月18日
 次候  黄鶯  (うぐいすなく)新暦2月9日~2月13日

  春の到来を告げる鶯が、美しい鳴き声を響かせるころ。
  かつては梅の咲く季節とも呼ばれていました。



今朝 7時時20分 撮影 東の空  薄い雲が広がる朝
日の出 6時43分   日の入 17時28分 


昨日は一日中晴天でしたが、気温が上がらずストーブの火を点けっぱなしでした。
午前中は、新聞に目を通すと、ブログのネタ探しで時間がかかってしまいました。
というのも、「服の日」ということで、話題も少ないことから制服について調べようと小学生の頃の写真から探していたのです。
見つけることはできたのですが、見だしたら次から次へと色々なことが思い出されて、時間ばかりが過ぎてしまいました。


午後は、久しぶりに読書をしたり、ブログ巡りをしたり、うたたねをしたりですごしました。



今朝は冷たく、また霜が降りていました。


さて「今日は何の日」かというと、2月10日は、「海の安全祈念日」でした。
2001年(平成13年)2月10日(日本時間)、愛媛県立宇和島水産高等学校の実習船「えひめ丸」が、ハワイ・オアフ島沖で急速浮上した米国海軍原子力潜水艦グリーンビルに衝突されて沈没する事故が発生した。

  沈没前の練習船・えひめ丸


この事故により、教官、生徒らなど乗員9名が亡くなるという痛ましい事故でした。
この悲劇を教訓として、船舶の安全を祈願することを目的に、全国水産高等学校長協会が2003年に海難事故防止に向けた祈念日を制定したのです。
それにもかかわらず、事故は起こっています。


以下は、海難事故のうち潜水艦と船舶が衝突した事故です。

   ドック入りの潜水艦(グリーンビル)


• 1981年4月9日、日本船籍の日昇丸が、東シナ海でアメリカ海軍の原子力潜水艦に下から突き上げられ沈没する事故が発生している。この事故で2人が犠牲になった。
• 1988年7月23日、海上自衛隊の潜水艦「なだしお」が遊漁船と横須賀沖で衝突する事故が発生し、遊漁船の乗客39名・乗員9名のうち30名が死亡し、17名が重軽傷を負った。
• 1988年8月26日、ペルー海軍所属の潜水艦と三重県の遠洋マグロ漁船「第8共和丸」がペルー・カヤオ港外で衝突しパコーチャが沈没、パコーチャの艦長ら8人が死亡した。
• 2001年2月10日 えひめ丸事故 9名死亡。
• 2006年11月21日、宮崎県沖で、海上自衛隊の練習潜水艦「あさしお」とパナマ船籍の貨物船スプリング オースターが接触したが、双方とも損傷が軽微で負傷者がでなかった。
• 2007年1月9日、ホルムズ海峡でロサンゼルス級原子力潜水艦のニューポート・ニューズが日本のマンモスタンカー「最上川」(16万トン)に衝突、双方に負傷者は出なかったが「最上川」の船底部を損壊し航行不能になった。
• 2021年 2月8日午前10時に潜水艦が浮上する際に、商船の底に衝突というニュースが入った。

  2021年2月9日 中日新聞
 


調べているうちに、事故当時の市長さんにインタビューした記事をみつけたので載せておきます。


『愛媛県立宇和島水産高校の実習船えひめ丸がハワイ沖で米国の原子力潜水艦に衝突され没し、9人が亡くなった事故から2月10日で20年を迎える。
事故の対応にあたり、今も向き合い続けている当時の宇和島市長・石橋寛久さん(70)に、思いを聞いた。


 当時は、市長に初当選されたばかりでしたが


 3日目やけんね、今でも忘れんけど。土曜日で役所が休みやけん、選挙でお世話になった人にあいさつに行こうと車をバックさせたところで、秘書から「どうもえひめ丸が沈んだみたいなんですが……」と電話があって。ちょうど車に乗っとるから「直接行くわ」言うて、水産高に駆けつけたんですよ。


 事故の一報を聞いたときの印象は


 最初に「ゲンセンとぶつかった」と聞いて、私は勝手に「原子力商船」やと思ったんよね。原子力にかかわる船やから相当大きいもんやろうと想像して、「なんでそんな大きいもんとぶつからないけんのやろう」と思いながら学校に行ったのを覚えています。


Q 学校の様子は


 (午前)10時ぐらいやなかったですかねえ。当初は数人しか来てなくて、それから家族の人たちも徐々に集まってきた。テレビに救命ボートが映ったときに「あれ、うちの子」という人もおりましたから、「やっぱり現実なんやな」と思ったのを覚えています。


 市の対応で力を注いだことは


 最初は、とにかく生きとる願いを込めて捜索を続けてくれと、現地のラジオ局にも働きかけをお願いしました。日米協会など現地の日系人が協力してくれたのもありがたかったです。』
と、無念な思いを語っておられました。


また、この「えひめ丸事故」当時の森喜朗首相は事故発生時に休暇を取得、ゴルフをしていたが、事故の一報ののちもそのままゴルフ場に留まったことが大きな問題となり、内閣総理大臣を辞任したとされている。


今、時を同じくして、同じ名前が世間を騒がせているとは妙な縁がありますねえ、森さん。



一部の都市を除いては、感染者の減少が見られますが、行動を解除されるとこれまでの緊張の糸がプツンと切れたら、一気にガタッと心が緩んで元の木阿弥になってしまいそうです。
コロナ感染症のワクチンの完成と接種が待たれていますが、今しばらくは、慎重な生活を心がけることが肝心ですね。


コロナに感染され、療養中のみなさま


これまでに各種災害などで、被災された地域のみなさま


台風や水害で避難されたみなさま


みんなで気持ちをしっかり持ち


ともにがんばってまいりましょう。


復旧に向けても ともに頑張りましょう
  そして
救助・復興・治療にあたってくださる みなさま