昭和はすごかった
理想の明るい居間
11月25日(水) 起床5時32分 気温6℃ 降水量0mm 湿度93%
天気予報 日差しが届きて穏やかな空 朝晩は冷え込む 昼間は暖かい
最高気温 18℃ 一日の寒暖差に注意 乾燥注意報
今朝 6時52分撮影 南の空 空には雲ひとつない青空が広がる
日の出 6時36分 日の入 16時41分
いつもより早い起床となる。
起きると5時30分過ぎで、カーテン越しの外はまだ暗い。
風の音も聞こえず静かだ。
ヤヤ肌寒さを感じて、ストーブを点ける。
ストーブの温かさを感じながらその前で着替えをする。
6時すぎたのでカーテンを開いて外を覗くと、あたりはまだうす暗くやっと景色が見える。
天気はよさそうだ。
国道からは、車の通過するテールランプが見えている。
6時40分、勝手口から庭に出る。
顔を冷たい冷気が流れていく。
吐く息は、かすかに白く見える。
玄関前に出迎え用のペットがいる。
ウサギの親子とワンコ
春になると、ここには植木鉢が乗っている。
今は、冬ごもりに入っている。
四季桜を見に行く。
四季桜
かなり満開に近づいているが、一輪一輪が小ぶりなので華やかさはないが、秋から冬にかけて咲くということがめずらしい。
この花は、群がって咲くと豪華に見える。
ブタナの綿毛
しばらくすると、風に運ばれて飛んでいく。
飛ばされたところで、春を待たずにすぐに定着するようだ。
別名を「タンポポモドキ」と言う。
今日の予定は、午前中に妻の定期検診日が入っているので、運転手として出かけます。
予約制ですので、急ぐことはありませんが朝食をとってからでかけます。
さて「今日は何の日」かというと、11月25日は「ハイビジョンの日」です。
なぜ11月25日が「ハイビジョンの日」というのは、郵政省(当時)とNHKが1987年に定めたもので、当時のハイビジョンの規格で定められた「走査線」の数 1125本に由来しています。
アナログ放送の画像は、横に走る多数の線により構成されていました。
ブラウン管のビーム銃は、横向きに左から右へと首振りしながらこの走査線を再現し、右端まで行ったら次の走査線の左端に戻ります。
そして一番下の右端まで行くと一番上の左端に戻ります。
この走査線の数が525本でしたので、ハイビジョンの1125本にすると約倍の解像度が得られ、美しい画面を見ることができるようになったのです。
その実力が発揮されたのが、1993年の皇太子ご結婚の儀のときです。
当日は90台のハイビジョンカメラが導入され、皇居の結婚の儀と東宮御所までのパレードが中継されました。
また、1994年2月のリレハンメルオリンピック中継では、高精細の映像の美しさを視聴者が実感できました。
これらの国民的イベントの放送により、ハイビジョン放送の価値が高まっていきました。
そしてその評価を決定づけたのが1995年1月の阪神・淡路大震災の時でした。
当時テレビの取材は中継車を使っており、被災地の狭い路地には入れませんでした。
そこでNHKは手押し車にハイビジョンカメラを搭載して取材したそうです。
この映像はこれまで普通のテレビで伝わらなかった細部の亀裂までも鮮明に映し、高く評価されることとなったそうです。
メタじいがテレビと出会った最初は、1953年6月でした。
テレビと言うものができたということを聞き、近くの友だちの家へ見に行ったときでした。
箱型テレビ
プロレスの力道山が試合をして勝った時に見たのでした。
それ以後、試合のあるたびに多くのファンと一緒にお邪魔させてもらっていました。
その後、日本の経済成長により我が家にも1959年にテレビがやってきました。
しばらく白黒でしたが、東京オリンピックのころにはカラーテレビに変わってきました。
カラーテレビ
カラーテレビからハイビジョンテレビとなり、今では4K/8Kなどが主流となってきています。
ハイビジョンテレビ
4kテレビ
想い起こせば、昭和の時代は技術革新の素晴らしい時代でしたね。
これまでに各種災害などで、被災された地域のみなさま
台風や水害で避難されたみなさま:
みんなで気持ちをしっかり持ち
ともにがんばってまいりましょう。
復旧に向けても ともに頑張りましょう
そして
災害救助・復興にあたってくださる みなさま
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