メタじいの日常

気が付けば後期高齢者です。孫が6人にもなりました。会うたびに大きくなるのでたのしみです。

学校給食の毒見は誰がする?

  【写真:昭和21年11月30日、サンフランシスコから横浜に到着したララ第1号船「ハワードスタンズベリー号」とララ中央委員会委員・関係者】 ララについての追記は文末


2021年12月24日(金)  


起床 7時13分  気温 0℃  降水量 0mm  湿度 85% 
天気予報  今日は柔らかな冬の日差し  段々と雲広がる  朝晩は冷え込む  
最高気温 12℃  北西 風速 1m  現在は注意報なし


冬至(とうじ)
 冬至とは、一年でもっとも昼が短く、夜が長いころのこと。
これから日が伸びていくので、古代には冬至が一年のはじまりでした。
      新暦 12月21日~1月4日
初候 乃東生(なつかれくさしょうず)
     新暦 12月21日~12月25日
   うつぼぐさの芽が出てくるころ。
   年の瀬も押し迫り忙しい時期ですが、たまには休息も。 


旬の魚介(くろまぐろ):旬の草花(センリョウ、マンリョウ)



今朝  7時43分  撮影 西の空   雲ひとつない空に月
日の出 6時57分   日の入 16時44分




今朝起きた時にはすでにカーテンに日差しが届いていた。


着替えて、カーテンを少し開いて庭を見る。


   寒そうな庭


空には、雲らしきものはない。
今日もいい日続きそうだが、外気は冷たそうだ。


   剪定の終わったカシワバアジサイ



ところで昨日の午前中は、紙製品の資源ゴミ整理をした。


   新聞紙 など


ここ数か月分の新聞等が山のようにケースに積み重ねられていたので、資源ゴミとして出そうと、運びやすいように新聞紙、広告、冊子の3つに小分けして縛った。
今度の日曜日に、リサイクルセンターに運んでいく準備をした。


11時を過ぎたころ、義弟(妹の夫)が畑仕事の帰りと言いながら自家製の野菜を届けてくれた。


   みずみずしい野菜


彼は、退職後に農業に目覚め、太陽のもとで元気に活動している。
そのおこぼれをいただいて、我が家も健康的に生活させてもらっている。


感謝 感謝 です。



さて、「今日は何の日」といわれると、12月24日は「学校給食記念日」でした。


学校給食記念日とは、1946年(昭和21年)12月24日に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)、ララ委員会、日本政府立会いの下、東京都千代田区立永田町小学校(現:麹町小学校)でララ物資の贈呈式を行ったことにちなみ文部省(現:文部科学省)によって定められた記念日です。
当初は「学校給食感謝の日」という名称であり、毎年12月24日とされていた。


同日より東京都、神奈川県、千葉県の3都県において試験的に学校給食が始められたからです。


しかし、学校給食記念日である12月24日が多くの地域で冬休み期間に当たるため、1950年(昭和25年)文部省は「全国学校給食週間の開催」を通知し、1951年(昭和26年)から学校給食記念日の1か月後の1月24日から1週間を全国学校給食週間とした。そのため、各地の学校での「給食記念日」は1月24日となっている。


ところで給食と言えば、学校の思い出の中でもとても印象に残っている思い出ではないでしょうか。


   学校給食


そんな給食にもちょっとした秘密がありました。
日本の小学校では、校長先生が子どもたちよりも先に子どもたちと同じ給食を食べ、言わば「毒見」をしてくれていたようです!
それも校長先生のお仕事の内の1つの様で、子どもたちの食の安全を校長先生自ら行っているという事でした。


追記
【なお、ララとはアメリカ合衆国連邦政府の救済統制委員会(アメリカ合衆国大統領直轄の機関)が、1946年(昭和21年)6月に設置を認可した日本向け援助団体。1946年(昭和21年)1月22日に、サンフランシスコ在住の日系アメリカ人浅野七之助が中心となって設立した「日本難民救済会」を母体としている。ララ物資には、当時子どもだった方々に尋ねたところ、大きな船にギッシリ積み込まれて、主に食料・衣類・医薬品・日用品・学用品で、それ以外にも生きた山羊や牛も送られてきたそうです。】


   ララ物資のパン



では、マタアシタ。