メタじいの日常

気が付けば後期高齢者です。孫が6人にもなりました。会うたびに大きくなるのでたのしみです。

地震国 日本は・・

 震災復興後の東神戸大橋


2021年1月17日(日) 


起床 7時05分  気温 0℃  降水量 0mm  湿度 89% 
天気予報  雲の広がりやすい空  昼と夜の気温差大きい  
最高気温 7℃ 北西風 1m  夜は冷え込む 


小寒(しょうかん)
  小寒とは、寒さが極まるやや手前のころのこと。
  寒の入りを迎え、立春になる寒の明けまでの約一か月が寒の内です。
       新暦 1月5日~1月19日
 末候  雉始雊(きじはじめてなく) 新暦 1月15日~1月19日
  雉のオスがメスに恋して鳴き始めるころ。
  小正月は十五日、正月納めもそろそろです。



今朝 7時40分 撮影 南の空  うす雲の多い空
日の出 6時59分   日の入 17時04分 


5時15分にトイレへ起きたが、寒いのでまず石油ストーブに点火する。
もう一度、ベッドに戻り寝てしまった。


次に起きたら7時を過ぎていて、カーテンの外は明るかった。


部屋も温かくなっていたのでゆっくりと着替える。


防寒用のジャンバーを着て、パソコンでニュースやブログめぐりなどをする。


相変わらず、コロナ感染者の数が減ってこない。
全国に散らばっているようにも見える。


日の出後30分過ぎても太陽が顔をださないので、庭に出る。
やはり冷たい朝だ。


今日は、日曜日と言うこともあり国道は静かである。



さて「今日は何の日」かというと、1月17日は、「阪神・淡路大震災の日」でした。
1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒、兵庫県の淡路島北部沖の明石海峡を震源として、マグニチュード7.3の兵庫県南部地震が発生した日です。
メタじいもこの地震のことはよく覚えている。
まだ現役であり、そろそろ起きようかと思っているところへ大きな揺れで飛び起きた。
ラジオのニュースで近畿圏の広域が大きな被害を受けた模様であることを聞かされた。
職場につくと、テレビの前に集まった同僚たちが食い入るようにテレビにかぶりついていたことを思い出す。
その映像では、高速道路が横倒しになった姿であった。

 高速道路 倒壊


特に震源に近い神戸市市街地(東灘区、灘区、中央区(三宮・元町・ポートアイランドなど)、兵庫区、長田区、須磨区の被害は甚大で、当時東洋最大の港であった近代都市での災害として、日本国内のみならず世界中に衝撃を与えた。

 木造家屋の倒壊


犠牲者は6,434人に達し、第二次世界大戦後に発生した地震災害としては、東日本大震災に次ぐ被害規模である。
戦後に発生した自然災害全体でも、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであった。
同年7月25日、激甚災害法(激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律)に基づく激甚災害にされた。

 倒壊家屋


復旧の長期化に伴い、直接的被害にとどまらず、避難所生活(ピーク時:箇所数599箇所、避難人数236,899人に伴う精神的疲労や子ども・高齢者・障害者等への心理的影響、学校等教育機能の低下、ライフラインの復旧の遅れや交通渋滞などによる都市機能の低下、雇用の不安定化など、市民の生活に対して様々な面で、震災が影響を及ぼすこととなった。

 木造家屋


また、産業面においても、企業の市外への移転や被災による生産量の低下、港湾施設の被害に伴うコンテナ貨物の他港へのシフト、高速道路の寸断や復旧工事による交通容量の不足等により、神戸のみならず、日本経済へ深刻な影響を及ぼすこととなった。
さらに、大量の災害廃棄物処理や、これに伴う環境への影響など、震災がもたらした被害は、広範囲で多方面にわたる深刻なものとなった。

 商店


新長田駅南地区の人口は2019年9月現在で約6000人と震災前の1.4倍に増えたが、新たにやってきたのは大阪市や神戸市中心部で働くサラリーマン層が中心となっている。
昼間人口は2016年で1991年から約3割も減っているという。

 復興後の商店街



今朝もまた、コロナ禍で緊急拡大宣言都市を広げたにも関わらず、コロナ感染者は7014人と発表され、まだまだコロナ禍の収束は程遠い感があります。
我々としては、一刻も早い収束を祈ることのみです。


これまでに各種災害などで、被災された地域のみなさま
台風や水害で避難されたみなさま


みんなで気持ちをしっかり持ち


ともにがんばってまいりましょう。


復旧に向けても ともに頑張りましょう
  そして
救助・復興・治療にあたってくださる みなさま