メタじいの日常

気が付けば後期高齢者です。孫が6人にもなりました。会うたびに大きくなるのでたのしみです。

子どもたちの成長を願っています

晩秋です
11月15日(日) 起床 5時25分  気温6℃  降水量0mm  湿度85% 


天気予報  青空から曇り空となる   朝晩は冷え込む  ニワカ雨注意  
   最高気温 19℃   一日の寒暖差に注意  


今朝 6時40分撮影  南の空   雲の多い青空
日の出 6時25分    日の入 16時45分 


起きるとまだ5時台であり、外は暗い。
国道は時折乗用車の通過する音がする。


ストーブに点火、パソコンのスイッチオン、そしてトイレ。
起きるときは、これがいつもの朝のパターンです。
カーテン越しに覗いてみると、テールランプの明かりが通り過ぎていく。


部屋がほんのり暖かくなってくると、ゆっくり着替えした。
着替えながら、昨日一日のことを思い出していた。


昨日は、朝から雲一つない青空で一日が始まった。
午前中に整骨院へ治療に行く予定にしていたので、朝食後に出かけた。


道路は、出勤時間を過ぎていることもありスイスイと進めることができた。
整骨院は、予約なしであるが、待ち時間は少なく30分以内には番が回ってくる。
昨日も2人が待っていただけなので、すぐに番が来た。


治療が終わり、駐車場の車に乗り込んで、周りを見渡すと街路樹が紅葉してきれいに見えた。

  街路樹

そこで、帰りには街道沿いの秋を見つけながら帰った。
整骨院のある場所は、新興住宅地の一角にあり、新しく山地を開発してできた街である。
街並みは、整然と整備され、道路などは広くきれいになっている。

  外周道路 1


主要道路は、片側2車線で通行量が多くてもスムースに移動できるようになっている。
街路樹も多種多様の樹木が植えられ、赤や黄色と紅葉にも変化があってとても良いが、落ち葉がかたまっているのが気になった。
主要道路沿いには、まだこれから開発される余地もたくさん残されていた。

  外周道路 2


帰宅後も、昼食を済ませてから高い青空のもとで、秋の名残を探してみた。


そして今日の一枚を写真にとる。

  マユミの実

このマユミという木はニシキギ科の一種のようで、秋になると茶色がかったオレンジ色に紅葉する、とても美しい落葉低木になるようですが、メタじいの家では屋敷の隅っこで野生化している。
これは、長女が生まれた時に、同じ名前の木と言うことで植えた覚えがあります。
それにしても、美しいのが朱色がかった赤色の果実で、熟したところは中から、赤味がかったオレンジ色のタネが現れ、葉が落ちてもしばらく残っています。
調べてみると、マユミは日本に自生する植物のようです。
なので、栽培は容易で、病害虫もほとんどなく、日なたに植えれば、毎年美しい紅葉と果実を楽しむことができるそうです。
でも、肥えけのない山寄りに植えたようで、これまで忘れていました。
今残っている幹は細いのですが、そばには直径10cmぐらいの太い幹が残っています。
その木には、幹を白くなった苔のようなものが覆いつくしていました。
もう少し周囲を整備して、目立つようにしてやります。
木の質は緻密で、粘りがあるといわれ、古くはマユミの木で弓をつくったことから「真弓」と呼ばれるようになったとわかりました。
現在でも将棋の駒などの材料として利用されているそうです。


午後2時ごろ、次女がひょっこりと顔を出しました。
高3の孫も、今日から自動車学校へ通うということで、自転車を我が家に置いて、近くの消防詰所の広場から送迎バスに乗って出かけていきました。



さて「今日は何の日」かというと、11月15日は「七五三の日」です。
では、なぜ11月15日が七五三の日になったのでしょうか。

  七五三   

これは、徳川将軍家の「袴着の儀」がおこなわれた日が踏襲されて11月15日が子供の成長を祝い、氏神様・産土神様に報告をおこなう日になったというわけです。
では、なぜ徳川将軍家は11月15日に「袴着の儀」を執りおこなったのかというと、旧暦(太陰太陽暦)時代の話ですから、15日は毎月ほぼ満月になります。
月満ちる満月の日に大切な年齢儀礼をおこなうのは当然のことでした。
昔は子どもの死亡率が高く、「7歳までは神の子」という言葉があり、7歳までは魂が定まらないと考えられていたのだそうです。
子どもが健康なまま大人に成長できる確率は高くなかったことから、無事に成長することを祈って、宮中や公家などでは、年齢の節目ごとにさまざまな儀式が行われていました。
この節目となる年齢が3歳・5歳・7歳だったのです。


三歳は、「髪置(かみおき)の儀」。
平安時代では、男の子と女の子のどちらも生まれてから3歳まで、坊主頭が一般的でした。
数え三歳まで髪を短くしているとその後美しい髪に恵まれると信じられていました。
三歳になって髪を伸ばし始めることを祝うのが三つのお祝いです。
五歳は、「袴着(はかまぎ)の儀」。
数え五歳から男の子だけが袴の着用を許されました。
このことを祝うのが五つのお祝いです。
最後に七歳は、「紐解(ひもとき)の儀」。
それまで紐のついた子どものきものを着ていたのを、女の子だけ紐を取り大人と同じ形のきものを着ることを祝うのが、七つのお祝いでした。
ですから、七歳のお衣装は「腰揚げ(縫揚げ)」をせず、大人と同じように腰ひもで揚げをとり着ます。
それが七つのお祝いの意味なのだそうです。
この3つの儀式が、次第に武士の家や裕福な商人たちの家でも行われるようになっていき、明治時代には七五三と呼ばれるようになった。
その後、少しずつ庶民の間にも広まっていき、現在のような形になったのだという。
数え年の七歳、五歳、三歳はそれぞれ、厄年でもあります。
寺社仏閣に参拝し厄除けを受けることも、大切におこなわれてきた儀式です。
そのときの衣装は、その後も大切にされ、その子どもの行く末を見守る『お守り』になると考えられてきました。


今日は、一日中晴れ着姿の子どもたちを多く見かけることでしょうね。
でも、このコロナ禍の昨今では皆さん自重されているのかな。
子どもたちの健やかな成長をこころから願っています。



これまでに各種災害などで、被災された地域のみなさま


台風や水害で避難されたみなさま


みんなで気持ちをしっかり持ち


ともにがんばってまいりましょう。


復旧に向けても ともに頑張りましょう
         そして
  災害救助・復興にあたってくださる みなさま